土井晩翠校歌高校
土井晩翠の作詞した校歌は、たった一度でも断られている。
土井晩翠が作詞した校歌の総数と記録
「荒城の月」の作詞者として有名な詩人・土井晩翠は、明治34年の「荒城の月」発表以降、全国の学校から校歌作詞の依頼が相次ぎました。平成16年に確認された晩翠作詞の校歌は293校に達し、小学校から高校まであらゆる学校種別に及びます。
参考)https://www.smt.jp/library/teaching/archives/d18005.html
生涯で約300校もの校歌を作った晩翠ですが、その作品を集めた『晩翠先生校歌集』(1967年)には遺漏が多く、実際の作詞数はさらに多いと推測されています。
つまり300校以上です。
信時潔が作曲した晩翠作詞の校歌だけでも28曲存在し、その半数以上が公式の校歌集に掲載されていないほど、晩翠の校歌作詞活動は膨大でした。
記録の把握すら困難なレベルですね。
戦後の混乱期、晩翠は校歌作詞にほぼ専念し、若い世代へ希望のメッセージを送り続けました。漢詩調の詩が時代遅れとなった中でも、教育現場への貢献を続けたのです。
保育士のあなたも、卒業した学校の校歌が晩翠作品だった可能性があります。母校の校歌を調べてみると、新しい発見があるかもしれません。
土井晩翠が作詞した高校校歌の代表作
土井晩翠が作詞した高校校歌には、東北地方を中心に多数の名作が存在します。東北高等学校の校歌は、晩翠作詞の校歌を歌う会で毎年披露される代表的作品の一つです。
参考)http://www.sekiou-ob.com/sendaisekioudousoukai/8thdoibansui/ayumi.pdf
秋田高等学校の校歌は「緑の美酒の酔深く」「羅綾の絹の袖軽き」といった華麗な表現で始まり、「守れ秋高 我等が母校」「奮へ秋高 我等が母校」と力強く締めくくられます。
生徒の誇りが込められていますね。
参考)校歌・校友会歌
島根県立大田高等学校の校歌(山田耕筰作曲)は、「大地に根を据ゑ三千餘尺 三瓶の名山虚空を凌ぐ」と雄大な自然描写から始まり、「向上理想の影を」「健児よ自然の教に學べ」と呼びかける内容です。
旧制大田中学校(現・大田高校)の校歌は、昭和3年(1928年)に第三代校長・岡虎次郎が生徒募集の歌詞に満足せず、直接晩翠に作詞を依頼して誕生しました。
校長自らの熱意が生んだ作品です。
参考)校歌と校章について
岩手中学校・岩手高等学校の校歌(山田耕筰作曲)は「旭日ににおう桜花」という美しい言葉で始まり、現在も歌われています。常盤木学園高等学校や尚絅学院中学校・高等学校も晩翠作詞の校歌を持つ学校です。sekiou-ob+1
保育園で運動会を企画する際、近隣の小中高の校歌を調べてみると、地域の歴史や文化的つながりが見えてきます。晩翠作品が多い地域なら、地域交流のテーマになるかもしれません。
土井晩翠校歌の特徴的な表現とメッセージ
晩翠の校歌には、漢詩調の格調高い言葉遣いと、理想や向上心を示す力強いメッセージが共通して見られます。第二高等学校の校歌「天は東北」では、「不断の渇きとめがたき 知識の泉掬みとらむ」「湧き立つ血潮青春の 力山をも抜くべきを」といった青年の情熱を表現する言葉が使われています。
福島県立双葉高等学校の校歌では「踏むべき土のあるところ 寄りて雲居もよじうべし」と、小さな一歩から大きな成果を生む意味を込めた比喩表現が特徴的です。一葉二葉の小さな若木が、やがて大森林になる様子を描いています。
参考)http://www.futaba-h.fks.ed.jp/School_song_description.html
鹿児島国際大学(旧・鹿児島高等商業学校)の校歌では「士魂商才鍛えあげ」という四字熟語を用い、実業人としての自己鍛錬を指標として示しました。
具体的な目標が明確ですね。
宮城学院の校歌は、短い歌詞ながら豊かな聖書的イメージを宿しており、晩翠が聖書の御言葉に深く沈潜して一言ひとことを紡ぎ出した渾身の一作とされています。
信仰を持つ学校への配慮が見えます。
晩翠は当初、風景の特色に乏しい地域の校歌作詞を困難として断ったこともありました。しかし依頼を受けると、その土地の風土や学校の理念を丁寧に読み込んで作詞しました。
保育現場でも、園歌や行事の歌を作る際、子どもたちの成長への願いを具体的な言葉で表現することが大切です。晩翠の校歌から、メッセージの込め方を学べます。
土井晩翠と第二高等学校の深い関係
土井晩翠は1900年に母校である第二高等学校(仙台)の教授となり帰郷しました。翌年に第二詩集『暁鐘』を発表後、二高を一時辞任してヨーロッパへ遊学し、1904年に帰国して翌年に復職しました。
復職後の1905年に、晩翠は母校の校歌を作詞しました。明治39年(1906年)10月7日に制定された校歌「天は東北」は、楠美恩三郎(東京音楽学校)が作曲を手がけています。
この校歌には「花より花に蜜を吸ふ 蜂のいそしみわが励み」という一節があり、旧制第二高等学校のシンボルである「蜂」が登場します。
学校の象徴を巧みに取り入れました。
晩翠は第二高等学校で英語を教えており、卒業生の回想によれば「ずーずー弁の英語」で授業をしていたとされています。
東北訛りがあったということですね。
母校への深い愛情が込められた「天は東北」は、旧制高校の精神を象徴する校歌として今も語り継がれています。仙台市では、晩翠作詞の校歌を歌う会が2002年から開催され、全国から参加者が集まっています。
参考)https://akitahs-doso.jp/news/attach/446_2.pdf
保育園でも、卒園生が成長してから懐かしめる園歌があると、同窓の絆が深まります。晩翠の母校への貢献は、教育者としての理想的な姿勢の一つです。
土井晩翠校歌を保育や教育に活かす視点
晩翠の校歌には、子どもたちの成長段階に応じた普遍的なメッセージが込められています。「一葉二葉のちさきより 昼なお暗き森ならん」(双葉高校)という表現は、小さな成長の積み重ねが大きな結果につながることを示しており、保育の場面でも応用できる考え方です。
保育士として子どもたちに歌を教える際、歌詞の意味を分かりやすく伝える工夫が必要です。晩翠の校歌は格調高い分、現代の子どもには難解な言葉も含まれますが、「大きくなりたい気持ち」「頑張る心」といった普遍的テーマに置き換えて説明できます。
仙台市内では、晩翠作詞の校歌を持つ小学校が9校集まって合唱交流会を開催した実績があります。保育園でも、地域の小学校と連携して校歌を通じた交流活動を企画すれば、就学への期待感を高められます。
晩翠は生涯を通じて若い世代へ希望を伝え続けました。現代の保育現場でも、子どもたちに前向きな言葉をかけ続けることが、将来への意欲を育てます。
校歌以外にも、晩翠が作詞した母校・木町通小学校の校歌は、初等教育の現場で今も歌われています。小学校との連携を考える際、その学校の校歌の歴史を知っておくと、スムーズなコミュニケーションにつながります。
仙台市内の小中高12校の晩翠作詞校歌について詳しく解説されています。
地域の教育史を学ぶ際の参考資料です。
晩翠の生涯と代表作について包括的にまとめられています。
校歌以外の業績も知ることができます。


