大正の童謡・歌が保育に息づく意味と名曲の背景

大正の童謡・歌を保育で活かすための基礎と名曲の深掘り

保育現場でよく歌われる童謡の多くが、じつは大正時代に生まれたものだと知っていると、日々の保育が少し変わります。

🎵 この記事でわかること
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大正童謡が生まれた背景

1918年(大正7年)に創刊された雑誌『赤い鳥』が童謡誕生の起点。なぜ子どものための歌が必要だったのかを解説します。

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保育現場で歌われる大正童謡の名曲と深い意味

「しゃぼん玉」「赤とんぼ」「どんぐりころころ」など、子どもたちが口ずさむ曲の制作背景や歌詞に込められた思いを紐解きます。

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保育士が大正童謡を活かす具体的な視点

ただ歌うだけでなく、背景を知って子どもに伝えることで、情操教育・語彙力・共感力の育成につながる実践ポイントを紹介します。

大正の童謡・歌が生まれた理由:「赤い鳥」運動とは何か

 

赤とんぼ」や「夕焼け小焼け」、「どんぐりころころ」。保育園で毎日のように歌われるこれらの曲は、すべて今から約100年以上前、大正時代に誕生しました。

では、なぜ大正という時代に童謡がまとめて生まれたのでしょうか?

それ以前の日本には「唱歌」と呼ばれる学校教育向けの歌がありましたが、その内容は国威高揚や道徳を押しつけるものが中心でした。子どもの感性に寄り添ったものではなく、歌詞も難解で大人向けでした。

そこに変革をもたらしたのが、小説家・鈴木三重吉(1882〜1936年)です。

1918年(大正7年)7月、鈴木は詩人・北原白秋の協力を得て、児童文芸雑誌『赤い鳥』を創刊します。創刊号にはあの芥川龍之介が童話「蜘蛛の糸」を寄稿したことでも知られています。

つまり、大正童謡は当時の一流の文学者・芸術家が「子どもに良いものを与えたい」という純粋な想いで作った芸術作品なのです。

この運動には北原白秋、西条八十野口雨情という当時を代表する3人の詩人が参加し、山田耕筰本居長世中山晋平などの名作曲家が詩に音楽をつけました。こうして生まれた童謡の数々が、100年以上経った今でも保育現場で歌い継がれています。

大正期の童謡運動は「大正デモクラシー」の自由主義的な気風とも合致しており、子どもを一人の人格として尊重する思想が背景にありました。つまり、大正童謡はただの「歌」ではなく、子ども観の革命そのものだったのです。

この背景を知って歌うのと、知らずに歌うのとでは、保育士としての深みが違います。

童謡の誕生 大正期の童謡運動(サイト「童謡・唱歌の世界」)|鈴木三重吉・北原白秋ら赤い鳥運動の成り立ちを詳しく解説

大正の童謡「しゃぼん玉」:実は鎮魂歌だった背景と保育での伝え方

「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ」――保育園でもっとも早い時期から歌われる童謡のひとつです。

ところが、この明るい曲には深い悲しみが隠されています。

作詞者・野口雨情(1882〜1945年)は、1908年(明治41年)に長女のみどりちゃんを生後8日目に亡くしています。さらに大正13年には次女の恒子ちゃんも2歳で亡くしました。当時の日本は乳幼児死亡率が非常に高く、生まれてすぐに命が消えていく子どもたちが多かった時代です。

「生まれてすぐに 壊れて消えた」という歌詞には、自分の子どもを含む、短命に終わった命への鎮魂の気持ちが込められているという解釈があります。

これが事実だとすると、この歌は「悲しい歌」になります。

ただ、野口雨情の出身地・北茨城市の野口雨情記念館によると、発表当時は子どもたちのしゃぼん玉遊びの無邪気な様子を題材にしたとも伝えられており、諸説あります。

保育の現場でこの背景を子どもたちにどう伝えるかは、年齢によって異なります。3〜4歳では歌そのものの楽しさを大切にし、5歳以上になったら「この歌を書いた人は、とっても大切な人を亡くして、悲しかったから作ったんだって」と一言添えるだけで、子どもたちの受け取り方がぐっと深まります。

背景を知った保育士が歌う「しゃぼん玉」は、歌い方そのものが変わります。

大正の童謡「七つの子」「赤とんぼ」:100年続く謎と作詞者の実体験

野口雨情が1921年(大正10年)に発表した「七つの子」は、保育士なら誰でも知っている曲です。ところが、この歌には今も解決していない謎があります。

「七つの子」の「七つ」とは、いったい何を意味するのでしょうか?

「7羽のカラスのひな」という説と、「7歳の子ガラス」という説が今も並立しています。実際のカラス(ハシブトガラスやハシボソガラス)は一度に7羽の雛を育てることはなく、7年生きたカラスを「子」とは呼べません。

もっとも有力な解釈のひとつは、七五三に由来するというものです。当時は医療が発達しておらず、子どもが3歳・5歳・7歳まで生き延びることがひとつの節目でした。「七つまで無事に育ったかわいいわが子」という意味が込められているとも言われます。謎が謎を呼ぶ歌です。

一方、三木露風が作詞し山田耕筰が作曲した「赤とんぼ」(詩は大正10年発表、曲は昭和2年)は、作詞者の実体験が色濃く反映された曲です。

三木露風(1889〜1964年)は満5歳のときに両親の離婚を経験しており、子守娘の「姐や」に背負われてとんぼを見た幼少期の記憶が歌詞の原点になっています。「15で姐やは嫁に行き」という歌詞も実際の出来事とされており、当時の子守奉公の現実を反映しています。

つまり「赤とんぼ」は、懐かしさと喪失感を重ねた、非常に重みのある詩なのです。

「赤とんぼ」は2007年に「日本の歌百選」に選ばれています。保育士が歌う際は、秋の夕暮れどきに特に効果的な曲です。情景が浮かびやすいため、5歳以上の子どもたちに空の色や季節の変化を感じながら歌わせる導入にも向いています。

大正の童謡「どんぐりころころ」「夕焼け小焼け」:作詞者の体験と保育への応用

「どんぐりころころ どんぐりこ〜♪」は、保育士試験の実技課題にも採用された定番の大正童謡です(2019年度課題曲)。

作詞は青木存義(1879〜1935年)で、宮城県松島での幼少期の思い出をもとに作られました。大正10年(1921年)の著書『かはいい唱歌』に収録されたのが最初とされており、作曲は梁田貞(やなだただし)です。

ポイントは、歌詞が2番で終わっていることです。2番の「どじょう」が出てくる歌詞は実は後から追加されたもので、オリジナルは1番のみという説もあります。子どもたちに「2番はどうなったんだろう?」と問いかけると、「泳いで脱出した」「友達になった」などのユニークな発想が出てきます。語彙力や想像力を伸ばす活動の入り口に最適な曲です。

これは使えそうです。

「夕焼け小焼け」(1923年、大正12年)は、中村雨紅(1897〜1972年)が作詞、草川信が作曲した童謡です。中村は東京・日暮里の小学校で教員をしながら、八王子の自宅まで毎日約16キロの道のりを歩いて帰っていました。その帰路で見た夕焼けの情景がそのまま歌詞になっています。

「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」という歌詞は、子どもが帰宅する時間帯の情景そのもの。保育士が夕方の降園準備のタイミングに歌うと、歌詞と現実の情景がリンクして子どもたちの印象に残りやすくなります。

季節や時間帯に合わせて意図的に選曲することで、大正童謡はより力を発揮します。

どこか懐かしい秋の童謡「どんぐりころころ」の背景(chiik!)|作詞者・青木存義の生い立ちと松島との関係を解説

大正の童謡・歌を保育士が深く活かすための独自視点:「なぜ悲しい歌を子どもに歌うのか」

大正童謡には、「しゃぼん玉」や「十五夜お月さん」のように、大人が聞くと胸に刺さるような悲しみや喪失感を帯びた歌が少なくありません。

「こんな悲しい背景のある歌を子どもに歌わせていいのだろうか」と感じる保育士もいるはずです。

結論から言えば、問題ありません。

むしろ、悲しみやせつなさを含む歌を聴いたり歌ったりすることは、子どもの共感力や感情の幅を育てる上で重要な経験です。宮城学院女子大学の研究によれば、保育者が子どもと一緒に楽しく歌おうとすることで、子どもは歌詞を自然に覚え、情操的にも有効な効果があったとされています。

大切なのは、「保育士自身が歌の背景を理解していること」です。

背景を知っている保育士は、声のトーン・速さ・表情が自然と変わります。それが子どもたちの聴覚や感情に届きます。反対に、歌詞の意味を知らずに惰性で歌い続けると、どれだけ上手に弾き歌いできても子どもの心には届きにくくなります。

また、大正童謡の多くは古い言葉や表現が含まれており、語彙力の土台を広げる素材としても優れています。「負われて(おんぶされて)」「姐や(お姉さん)」「どじょう」といった言葉は、現代の子どもたちにとって初めて出会う言葉かもしれません。

それを「どういう意味だろう?」と問いかけることが、言葉への好奇心に直結します。

大正童謡の保育への活用は「歌う」だけで終わらせないことが原則です。

歌う → 意味を問う → 情景を想像する → 自分の言葉で話す、というプロセスをたどることで、音楽活動が言語活動・表現活動と連動します。

保育士として曲の背景を事前にひとつでも調べておくと、子どもからの「なんでこの歌をうたうの?」という質問にも自然に答えられるようになります。

史的変遷からみる幼児教育における音楽活動の特徴(宮城学院女子大学)|保育者が子どもと歌うことの情操教育的効果を学術的に考察

まとめ:大正の童謡・歌を保育士が知っておくべきこと

大正童謡は単なる「子どものための歌」ではありません。1918年の「赤い鳥」創刊を起点に、北原白秋・野口雨情・西条八十・三木露風らの詩人と、山田耕筰・本居長世・中山晋平らの作曲家が真剣に取り組んだ芸術運動の産物です。

「しゃぼん玉」は鎮魂歌かもしれない歌であり、「七つの子」は100年間謎のまま残る詩であり、「赤とんぼ」は幼少期の喪失を詠んだ詩です。「どんぐりころころ」は松島の思い出から生まれ、「夕焼け小焼け」は16キロの帰り道から生まれました。

これらの背景を1つでも知って子どもたちと歌うことが、保育士としての深みになります。

曲名 作詞 作曲 発表年
かなりや 西条八十 成田為三 1918年(大正7年)
赤い鳥小鳥 北原白秋 成田為三 1918年(大正7年)
十五夜お月さん 野口雨情 本居長世 1920年(大正9年)
七つの子 野口雨情 本居長世 1921年(大正10年)
青い眼の人形 野口雨情 本居長世 1921年(大正10年)
赤とんぼ(詩) 三木露風 山田耕筰 1921年(大正10年)※曲は1927年
しゃぼん玉 野口雨情 中山晋平 1922年(大正11年)
夕焼け小焼け 中村雨紅 草川信 1923年(大正12年)
どんぐりころころ 青木存義 梁田貞 1921年(大正10年)


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