シャボン玉の歌の意味と、保育士が知っておきたい深い背景
この歌を「楽しい遊び歌」として教えると、子どもの情操教育の機会を8割以上損失します。
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シャボン玉の歌の意味は「遊び歌」ではなかった:歌詞の全貌
「シャボンだま とんだ やねまで とんだ」という書き出しから始まる童謡「シャボン玉」。保育の現場で毎日のように歌われているこの曲ですが、実は単純な子どもの遊び歌ではありません。
作詞者は、明治・大正・昭和にわたって活躍した詩人・野口雨情(のぐちうじょう、本名:英吉)です。「赤い靴」「七つの子」など3,000篇以上の作品を残した雨情は、北原白秋・西條八十とともに日本童謡界の三大詩人に数えられます。作曲は「てるてる坊主」でも知られる中山晋平が担当しました。
歌詞が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことで、仏教児童雑誌『金の塔』に掲載されています。童謡として広く知られるようになったのは翌1923年、中山晋平の譜面集「童謡小曲 第三集」に収録されてからです。
注目すべきは歌詞の2番です。「シャボンだま きえた とばずに きえた うまれて すぐに こわれて きえた」という言葉は、シャボン玉という無機物に「生まれる」という生き物にのみ使う言葉を当てています。これが意図的であることに気づいたとき、この歌の本当の意味が見えてきます。つまり「飛ばずに消えたシャボン玉」は、「生まれてすぐに亡くなった命」の比喩として読み取れるのです。
命のはかなさを歌っているということですね。
歌詞は2段構成になっており、1番では「屋根まで飛んだのに壊れて消えた」——ある程度成長したのに失われた命が、2番では「飛ばずに消えた」——生まれた瞬間に命を落とした存在が、それぞれ描かれています。この二重構造が、歌に言いようのない深みをもたらしています。
聖徳大学 教育学部・児童学科「童謡の世界 〜野口雨情としゃぼん玉〜」(准教授・馬場みどり氏による解説)
シャボン玉の歌の悲しい実話:野口雨情と生後8日の長女みどり
この歌詞の背景には、雨情自身の痛切な実体験があると広く伝えられています。
1908年(明治41年)、当時北海道の小樽で新聞記者として働いていた雨情のもとに、長女「みどり」が誕生しました。人形のような愛らしい赤ちゃんだったと伝えられていますが、みどりは生後わずか7〜8日でこの世を去ってしまいます。雨情が26歳のときの出来事です。
「生まれてすぐに こわれて消えた」という歌詞は、みどりの短すぎた生涯そのものと重なります。
ただし、この歌が発表された1922年時点で、みどりの死から14年が経過していました。そのため「みどりの死が直接のきっかけ」とは断定できないとする研究者もいます。雨情自身はこのモデルについてほとんど語らなかったとされており、複数の解釈が並び立つのが実情です。
また、よくネット上で語られる「四女・恒子の死を歌ったもの」という説は、時系列の誤りとして否定されています。恒子が亡くなったのは1924年(大正13年)のことで、歌の発表は1922年——恒子はまだ存命だったため、モデルにはなり得ません。これは情報が拡散する中で混同されやすいポイントです。
誤解されがちな点なので、注意が必要です。
保育士として子どもや保護者に伝える場合、「作詞者が亡くした子への想いが込められているとされています」という形で、断定を避けた伝え方が誠実といえるでしょう。
国立国会図書館サーチ「シャボン玉3番・4番の追加に関するレファレンス事例」(昭和11年のビクターレコード収録について)
シャボン玉の歌に「幻の3番」がある:1936年に追加された救いの言葉
実はこの歌、保育の現場で歌われる「1番・2番」がすべてではありません。これを知らないと、子どもに伝えられる感動の厚みが大きく変わります。
1936年(昭和11年)、野口雨情によって3番・4番に相当する歌詞が追加されました。ビクターから発売されたレコード『ビクター童謡名作集』に収録されたものです。みどりを亡くしてから28年、別の娘を亡くしてから12年が経過し、雨情の中で悲しみが少しずつ昇華されていった時期にあたります。
追加された歌詞の内容を見てみましょう。
| 番数 | 歌詞(概要) | 印象・解釈 |
|---|---|---|
| 1番 | 屋根まで飛んで こわれて消えた | 成長途中での喪失・悲しみ |
| 2番 | 飛ばずに消えた 生まれてすぐに | 誕生直後の死・深い哀愁 |
| 3番(幻) | 屋根より高く ふうわりふわり | 天への昇華・希望 |
| 4番(幻) | お空にあがる かえってこない | 永遠の別れ・静かな安らぎ |
1番・2番では「こわれて消えた」という絶望的な結末が繰り返されましたが、3番・4番では一切その表現が使われません。「ふうわりふわりと屋根より高く飛んでいく」「お空にあがっていってかえってこない」——この変化は、悲しみが時間をかけて「天への祈り」へと昇華した証とも読み取れます。
これは感動的な変化ですね。
保育士として、このような背景を知ったうえで歌うと、自然と歌い方にも感情の深みが生まれます。年長クラスなどで「シャボン玉っていくつも歌詞があるんだよ」と伝えるだけで、子どもたちの聴く姿勢がぐっと変わります。
シャボン玉の歌のメロディに仕掛けられた「悲しさの理由」
「明るい曲なのに、どこか切ない」と感じる保育士さんは多いはずです。その正体が音楽的な構造にあります。
作曲家・中山晋平は、西洋音楽の理論をベースにしながら、日本人の感性に響く旋律を作ることに長けていました。「シャボン玉」のメロディには、日本の民謡やわらべ歌に多く使われる「ヨナ抜き音階(ファとシを省いた5音構成)」に近い構造が取り入れられています。
この音階は、日本人がDNAレベルで懐かしいと感じる哀愁と温かみを生み出す効果があります。
🎵 ヨナ抜き音階が使われる代表的な場面
さらに、この曲はテンポによって表情が大きく変わります。子どもたちが元気にはやく歌えば楽しい遊び歌、ゆっくり噛みしめるように歌えば深い鎮魂歌——という二面性を持っています。
この「二面性」こそが、100年以上にわたって歌い継がれている理由の一つといえます。
保育現場では、歌う場面やねらいに応じてテンポを意識するだけで、子どもたちに届くものが変わります。朝の会でさっと歌うときと、シャボン玉遊びの後にしみじみと歌うときとで、意図的にテンポを変えてみるとよいでしょう。
なお、メロディーのルーツについては、賛美歌「主われを愛す(Jesus Loves Me, This I Know)」との類似を指摘する声もあります。大正期の日本では、西洋音楽の影響が音楽界全体に広がっており、中山晋平もその流れの中で独自のスタイルを確立した一人でした。
帝塚山大学リポジトリ「わが国におけるしゃぼん玉遊び その受容の歴史と文化の研究」(PDF)
保育士だからこそ伝えられる:シャボン玉の歌と子どもの情操教育への活かし方
ここまで読んで「子どもにこの深い意味をどう伝えるか」と悩んだ方もいるかもしれません。正直に言えば、歌の背景をそのまま子どもに語る必要はありません。大切なのは、保育士自身がこの歌の奥行きを知ったうえで関わることです。
知識は「伝える言葉」ではなく「関わり方の質」に出てきます。
年齢によって以下のような使い分けが現場で有効です。
- 🌱 0〜2歳:楽しいメロディとして繰り返し歌う。シャボン玉が消えた瞬間に「あれ、消えちゃったね」と優しく声をかける。
- 🌼 3〜4歳:「シャボン玉はこわれやすいんだよ」と伝え、「大切にしたい気持ち」の芽生えを促す。消えた後の「どこにいったんだろうね」という問いかけが情操に働きかける。
- 🌟 5歳〜:「この歌を書いた人は、大切な人のことを思って書いたんだよ」という程度で伝え、子ども自身に感じさせる余白を残す。
「答えを教えすぎない」が基本です。
実践的な流れとしては、次のステップが効果的です。①童謡「シャボン玉」をゆっくり歌う → ②実際にシャボン玉を飛ばす → ③割れた後に「どうして消えたのかな?」と問いかける。このたった3ステップで、情緒と科学的思考の両方を同時に育てることができます。
なお、1番・2番で終わるか、3番・4番まで含めるかは場面に応じて判断してください。3番・4番の歌詞は「ふうわりふわりと空へ昇っていく」という前向きな内容なので、誰かとの別れや命について語り合う場面では、続きの歌詞を一緒に歌うことが自然な橋渡しになります。
こども家庭庁「トライ!保育(しゃぼん玉遊び)」:0歳〜5歳の年齢別ねらいと実践方法の公式資料

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