鑑賞授業・美術で伸ばす子どもの思考力と感性
「鑑賞授業は絵の上手な子が楽しむもの」は、実は大きな思い込みです。
鑑賞授業・美術が保育現場で注目されている理由
保育の現場では長らく「作ること」が美術活動の中心でした。お絵かき、折り紙、工作——これらはどれも大切な表現体験です。しかし近年、「観ること」を軸にした美術の鑑賞授業が、小学校教育だけでなく保育の現場でも急速に注目を集めています。その背景には、「非認知能力」の重要性が広く認識されるようになったことがあります。
非認知能力とは、IQや偏差値のような数値で測れない力のことです。具体的には、好奇心・共感力・自己表現力・粘り強さ・コミュニケーション力などが含まれます。これらは幼児期、特に1歳から5〜6歳の時期に最も著しく発達するとされており、この時期の体験の質が将来の社会的成功や幸福感にまで影響するという研究が国内外で増えています。
美術の鑑賞授業は、まさにこの非認知能力を育てる「場」として機能します。絵を観て、感じたことを言葉にして、友だちの意見を聞く——このシンプルなプロセスが、子どもの思考力・語彙力・共感力を同時に鍛えるのです。
文化庁の調査(令和5年度)でも、子どもたちが文化芸術に触れる体験が「創造力・想像力」「思考力」「コミュニケーション能力」の育成に有効であると報告されています。保育士にとって、鑑賞授業は「特別なスキルが要らない、でも効果が高い」活動のひとつと言えます。
つまり、鑑賞授業は今の保育に必要な実践です。
文化庁「学校における文化芸術鑑賞・体験推進事業」——子どもの創造力・思考力・コミュニケーション能力の育成に関する公的根拠として参照できます。
鑑賞授業・美術でVTS(対話型鑑賞)を保育に活かす方法
「VTS(Visual Thinking Strategies)」とは、1980年代にニューヨーク近代美術館(MoMA)で認知心理学者フィリップ・ヤノウィン氏らが開発した対話型の美術鑑賞教育法です。日本語では「対話型鑑賞」「ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ」と呼ばれます。小学校の美術の授業に取り入れられ、年間10回行うだけで子どもたちの観察力・批判的思考力・コミュニケーション力が向上することが証明されています。
この手法の最大の特徴は、保育士が美術の専門知識をまったく持っていなくても実践できることです。VTSの中心となるのは、以下のたった「3つの問いかけ」です。
| 問いかけ | ねらい |
|---|---|
| ①「この絵の中で何が起こっているでしょう?」 | 自由な発想を広げ、観察を促す |
| ②「作品のどこからそう思いましたか?」 | 根拠を探し、論理的に話す力を育てる |
| ③「他にも気づいたことはありますか?」 | 多様な視点を受け入れ、さらに深く観る |
この3つの問いを軸に、保育士(ファシリテーター)は子どもの発言を「そうなんだね」「よく気がついたね」と受け止めるだけでOKです。正解を教える必要はありません。これは大切なポイントです。
NPO法人ARDA(芸術資源開発機構)が神奈川県内の保育園で行った実践では、年長児(5歳)12人に対して3カ月・全4回のワークショップを実施しました。最初は言葉が出にくかった子どもたちも、回を重ねるうちに活発に発言するようになり、担任保育士からは「こんなにスラスラ言葉が出てくるなんて!」という驚きの声が上がったといいます。
語彙が少ない幼児でも、つたない言葉で「心が動いたことを伝える」行為そのものが、感性と表現力を育てます。これが基本です。
マイナビ保育士「アートで育む自己肯定感――保育士さんのための対話型アート鑑賞法講座」——保育園での具体的なVTS実践例と声かけのコツが詳しく紹介されています。
鑑賞授業・美術における作品選びのコツと年齢別ポイント
鑑賞授業の成否の8割は、作品選びにかかっていると言っても過言ではありません。どんなに保育士の問いかけが上手くても、子どもが興味を持てない作品では言葉は出てきません。これは意外なポイントです。
幼児期の美術鑑賞に適した作品には、共通する条件があります。
- 視覚的に親しみやすい:鮮やかな色や見慣れたモチーフ(動物・人・食べもの)が含まれている
- ストーリーが読み取れる:何かが「起きている」場面で、想像が広がるもの
- 多義性がある:一つの答えに絞り込めない、解釈の余地が広い作品
特に保育現場で実績のある題材として、日本の国宝「鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)」が挙げられます。平安時代に描かれたこの絵巻物は、ウサギ・カエル・サルが相撲や水遊びをする様子を描いたもので、子どもが自然に「あ、カエルが泳いでる!」「ウサギが怒ってる!」と反応しやすい作品です。漫画・アニメのルーツとも言われており、現代の子どもとの親和性も高い点が特徴です。
年齢別の選び方の目安としては、3〜4歳クラス(年少・年中)ではシンプルな色使いで動物などの明確なモチーフが描かれた作品、4〜5歳クラス(年中・年長)では少し複雑な場面描写や複数の登場人物がいる作品、5歳以上(年長)では抽象的な要素が少し入った作品でも楽しめるようになります。
作品を用意する際、高価な図録や絵本を購入する必要はありません。A3サイズに印刷した印刷物でも効果は十分で、実際に保育園でのワークショップでも活用されています。手軽に始められます。
また、絵本も立派な鑑賞素材になります。谷川俊太郎作『もこもこもこ』(文研出版)は、不思議な形と擬音が子どもの感性を刺激し、VTSの問いかけにも応じやすい作品として推奨されています。
鑑賞授業・美術が生む「自己肯定感」への意外なルート
美術の鑑賞授業が自己肯定感を育てる、と言われてもピンとこない方も多いかもしれません。絵を観るだけで、なぜ自己肯定感が育つのでしょうか?
そのメカニズムはシンプルです。鑑賞の場には「正解」がありません。「このカエル、楽しそうに泳いでる」「いや、怖くて逃げてるんだよ」——どちらも間違いではなく、どちらも立派な「答え」です。子どもは自分の感じたことを言葉にし、それを大人(保育士)から「そうなんだね、なるほど」と受け止めてもらう体験を繰り返します。
この「言ってもいい、受け入れてもらえる」という安心感が、自信の芽生えにつながります。その積み重ねが自己肯定感の土台です。「正解のない場で自分の意見を肯定される」体験は、日常の保育活動の中ではなかなか生まれにくいもので、鑑賞授業ならではの強みと言えます。
イェール大学医学部で行われた研究では、絵画鑑賞トレーニングを受けた医学生の観察能力が、受けていない学生と比べて74%も高くなり、細部の変化に気づく能力も10%向上したというデータがあります。これは大人のデータですが、幼児期から観る習慣を積み重ねることの重要性を示唆しています。
さらに、米国の小学校で行われた鑑賞教育(VTS)の効果測定では、「批判的思考」「共感力」「寛容性」の3つの指標で大きな向上が確認されたという報告もあります(国立美術館・セミナー資料より)。これは大きな成果ですね。
保護者からも、「アートを感じるままに受け入れる行為が習慣化されれば、大きくなってもそうした感覚を持ち続けられそう」という声が聞かれており、鑑賞授業の効果は保育室の中だけにとどまらないことがわかります。
国立美術館「鑑賞と感情:美術館訪問が批判的思考・共感力・寛容性に与える効果」——美術鑑賞と子どもの情操発達に関する調査研究の根拠として参照できます。
保育士が明日から実践できる鑑賞授業・美術の進め方ステップ
「やってみたいけど、どこから始めればいいの?」という方のために、保育園で明日からでも取り入れられる、シンプルな鑑賞授業の進め方をまとめます。
【STEP 1】作品を1枚選ぶ
先述の条件(動物や人が登場する、ストーリーが読み取れる、解釈の余地がある)を意識して、A3印刷またはプロジェクター投影でOKです。最初は『鳥獣人物戯画(甲巻)』のウサギとカエルの相撲の場面など、動きが豊かでわかりやすい場面を選ぶと始めやすいでしょう。
【STEP 2】静かに30秒〜1分、じっくり観る時間を作る
「まずみんなで静かに見てみよう」と声をかけ、子どもたちが作品に集中できる時間を意図的に作ります。この「沈黙の時間」が後の言葉を豊かにします。
【STEP 3】3つの問いかけで対話をスタートする
- 「この絵の中で何が起きているかな?」
- 「どこを見てそう思ったの?」
- 「他に気になるところはある?」
子どもの発言は否定せず、「そうなんだね」「教えてくれてありがとう」と受け止めることが最優先です。
【STEP 4】発言を「つなぐ」声かけをする
「〇〇ちゃんはカエルが泳いでるって言ったけど、みんなはどう思う?」と、子ども同士の意見をつなぐことで対話が深まります。保育士が結論を出す必要はありません。正解を出す必要はないです。
【STEP 5】1回5〜10分、週1回から始める
鑑賞授業は長時間やる必要はありません。年少クラスなら1回5分程度でも十分です。週1回の短い積み重ねが、子どもの言葉と思考を確実に育てていきます。
🎨 準備物チェックリスト
| 準備物 | 入手方法・コスト |
|---|---|
| 鑑賞作品(印刷) | ネット検索→A3印刷、ほぼ無料 |
| プロジェクターまたはモニター | 園の設備を活用 |
| 絵本(もこもこもこ など) | 図書館で借りる、0円 |
| 鑑賞カード(複数の名画印刷) | 国立美術館の無料教材を活用 |
導入で困ったときは、国立美術館が無料で公開している鑑賞教育用の教材「鑑賞学習のための教材」(国立美術館制作、計65作品収録)が参考になります。保育現場での活用実績もあるため、作品選びに迷ったときのヒントとして使いやすいでしょう。一度確認してみることをおすすめします。
国立美術館「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」テキスト——対話型鑑賞の進め方・作品選びの実践的な指針が無料で参照できます。

教えない授業――美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方

