有名な童謡作家の生涯と代表作を保育現場で活かす方法
保育士が童謡の背景を知らないまま歌うと、子どもへの伝わり方が3割以下に落ちるという研究報告があります。
童謡作家の三大詩人とは誰か|北原白秋・野口雨情・西條八十を知ろう
保育現場でよく歌われる童謡の多くは、大正時代に生まれた「童謡運動」の産物です。その中心にいたのが、北原白秋・野口雨情・西條八十の3人で、この3人はまとめて「童謡界の三大詩人」と称されます。
それぞれの経歴を簡単に整理しておきましょう。
北原白秋(1885〜1942年)は、福岡県柳川出身の詩人・歌人・童謡作家です。1918年(大正7年)に創刊された児童文学雑誌『赤い鳥』の童謡欄を担当し、「からたちの花」「あめふり」「ゆりかごのうた」「この道」などを世に送り出しました。生涯で1,200編以上の童謡を残したとされており、童謡運動の旗手として特筆される存在です。
「からたちの花」は、作曲家・山田耕筰の少年時代の辛い思い出をもとに、白秋が詩を書き、その詩を山田耕筰自身が作曲したという、非常に特別な経緯を持つ楽曲です。1925年(大正14年)の発表後、後に文部省唱歌にも採用されました。意外ですね。
野口雨情(1882〜1945年)は、茨城県北茨城市出身の詩人・童謡作家です。「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」「証城寺の狸囃子」など、誰もが口ずさめる作品を3,000編以上残しています。作曲家の本居長世や中山晋平とのコンビでヒット作を連発し、大正時代の童謡界をけん引しました。
西條八十(1892〜1970年)は、東京出身の詩人・作詞家で、「鞠と殿さま」「肩たたき」「東京音頭」などで知られます。フランス文学の研究者という一面も持ち、ソルボンヌ大学でも学んだ国際派の文化人でした。
つまり、三大詩人それぞれが独自のバックグラウンドを持っていたということです。
作詞者・作曲者別まとめ|日本の童謡・唱歌(World Folk Song)
※有名な童謡・唱歌を作詞者・作曲者別に一覧で確認できる参考サイトです。三大詩人の代表作をまとめて把握するのに便利です。
童謡作家「野口雨情」の代表作と歌詞に込められた背景を知る
野口雨情の童謡で保育現場でもっとも歌われるもののひとつが「シャボン玉」です。しかし、この軽やかに聞こえる歌には、深い悲しみが刻まれています。
雨情は生後まもなく亡くなった長女みどりへの哀悼の気持ちを、「シャボン玉とんだ 屋根までとんだ こわれて消えた」という歌詞に込めたと伝えられています。雨情の孫で野口雨情資料館長の野口不二子氏(78歳)も、この背景を公の場で語っています。また、1936年には追加歌詞が作られており、最初の発表から28年後の心境の変化が反映されているとも言われています。
これが大切なポイントです。
「七つの子」も同様に、「七つ」が「7羽」なのか「7歳」なのかが長年議論されてきた歌詞です。烏が持つ親子の情愛を歌ったこの作品は、1921年(大正10年)に本居長世の作曲で発表されました。「かわいい七つの子だから」という表現が、どちらの解釈でも成立するように書かれているのは雨情の高度な詩作技術といえます。
「赤い靴」についても、実はモデルとなった女の子が実在しています。明治35年(1902年)生まれの「きみ」という少女で、生後間もなく親の都合でアメリカ人宣教師夫妻に預けられたものの、結核を患ったため渡米できず、東京の孤児院で1915年に亡くなったとされています。「異人さんに連れられて行ってしまった」という歌詞とは異なる、悲しい実話です。
保育現場でこれらの背景を知って歌うと、歌声に自然と深みが宿ります。子どもたちには複雑な背景をそのまま伝える必要はありませんが、保育士自身が「この歌には大切な命の物語がある」と理解して歌う姿勢は、音楽的な空気感として子どもに伝わるものです。これは使えそうです。
※保育士向けに野口雨情の童謡の意味と保育への活用ポイントがまとめられています。
童謡作家「北原白秋」の生涯と赤い鳥運動での役割を理解する
北原白秋は、童謡作家としてだけでなく、「赤い鳥運動」の核心人物としても語られるべき存在です。「赤い鳥運動」とは、1918年(大正7年)に小説家・鈴木三重吉が創刊した児童文学雑誌『赤い鳥』を中心に広まった文化活動で、軍国主義的・教訓的な色合いの強かった「唱歌」に対するアンチテーゼとして生まれました。
白秋はこの『赤い鳥』の童謡欄を担当し、「子どもの目線で感じたことをそのまま詩にする」という芸術姿勢を打ち出しました。「新しい童謡は根本を在来の日本のわらべ歌に置く」という彼の言葉は、現在の保育実践においても通じる理念です。
代表作の「あめふり」(作曲:中山晋平)は、雨の日に子どもが母親の迎えを待つ情景を描いた作品です。保育現場では雨の日の導入活動として今も広く使われており、子どもたちが日常の情景を音楽と結びつける感覚を育てるのに適しています。
また「ゆりかごのうた」(作曲:草川信)は、寝かしつけや安静時間に活用されることが多い作品です。白秋が手がけた童謡は、語感のやわらかさと日本語のリズムを意識した作りになっているため、0〜2歳児への語りかけとしても自然に機能します。
白秋の特筆すべき一面として、数多くの「校歌・応援歌」の作詞も手がけていたことが知られています。現在判明しているだけで全国400校以上の校歌や応援歌を手がけたとされており、童謡作家という枠には収まりきらない幅の広さがありました。
※北原白秋が童謡以外にも校歌・応援歌を400校以上手がけていたという、あまり知られていない事実が紹介されています。
童謡作家「三木露風」と「山田耕筰」が生んだ赤とんぼの誕生秘話
「赤とんぼ」は、三木露風(作詞)と山田耕筰(作曲)によって1921年(大正10年)に発表された童謡です。2007年には「日本の歌百選」にも選ばれており、秋の保育現場で欠かせない1曲として現在も生き続けています。
三木露風(1889〜1964年)は兵庫県龍野市(現・たつの市)生まれの象徴派詩人で、本名は三木操といいます。幼少期に両親が離婚し、母親とは長く離れて育ちました。「赤とんぼ」の歌詞「十五でねえやは嫁に行き」に登場する「ねえや(姐や)」は、幼い露風の世話をしてくれた女性をモデルにしたとされています。これが原則です。
作詞当時、露風は北海道のトラピスト修道院で働いており、そこから故郷の情景を思い出しながら書いたとみずから証言しています。作詞時の年齢は32歳で、「夕やけ小やけの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か」という歌い出しは、大人になった自分が幼い日に戻る郷愁の表現です。
山田耕筰(1886〜1965年)は日本の西洋音楽発展に貢献した作曲家で、「赤とんぼ」以外にも「この道」「待ちぼうけ」「ペチカ」など、北原白秋との名コンビで多くの名作を残しています。東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業後、ベルリン高等音楽院に留学した人物で、西洋音楽の技法を日本語の語感・リズムと融合させた独自の楽曲スタイルを確立しました。
「赤とんぼ」の歌詞で「赤」を「あ↓か」と発音するのか、「あ↑か」と発音するのかという論争があるほど、山田耕筰は日本語アクセントと音符の対応を緻密に考えて作曲していました。厳しいところですね。
保育でこの曲を扱う際は、秋の自然観察と結びつけると効果的です。園庭や散歩コースで赤とんぼを探す活動を行った後に「赤とんぼ」を歌うことで、子どもたちが歌詞の情景を体験として理解する機会になります。
※三木露風による「赤とんぼ」作詞の背景と歌詞の解釈について、大学研究者が詳しく解説しています。
保育士が知るべき童謡作家「中山晋平」の功績と現代保育への応用
中山晋平(1887〜1952年)は、長野県中野市(旧・下高井郡日野村)出身の作曲家で、「日本のフォスター」とも呼ばれることがあります。生涯に手がけた楽曲数は童謡824曲・流行歌467曲・新民謡292曲を含む、判明しているだけで1,805曲という圧倒的な数です。
野口雨情とのコンビで生まれた「シャボン玉」「あめふり雨降り」「証城寺の狸囃子」「兎のダンス」などは、保育現場でも今も頻繁に歌われています。特に「証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)」は、リズミカルな歌詞と明快なメロディから、3〜5歳児のリズム遊びや体を動かす活動に最適な曲のひとつです。
また、西條八十とのコンビでは「肩たたき」「東京音頭」を生み出しています。「肩たたき」は、大正12年(1923年)に発表された楽曲で、親子の情愛を子ども目線で表現した作品です。保育現場では親子活動や「ふれあい遊び」の際に取り入れやすい1曲といえます。
中山晋平の童謡には、わかりやすいリズムと日本語の語呂の良さが特徴的に現れています。東京音楽学校(現・東京芸術大学)で正統派の音楽教育を受けた彼が、あえて子ども向けにシンプルで親しみやすいメロディを選んだのは、「子どもの耳に届く音楽を作る」という強い意志があったからとされています。
保育士が保育士試験を受験する際にも、赤い鳥童謡運動・主要作曲家・代表曲は頻出問題として登場します。中山晋平・山田耕筰・本居長世・弘田龍太郎の4人の作曲家の代表作は、試験対策としても押さえておく価値があります。
| 作曲家 | 代表作(童謡) | コンビを組んだ作詞家 |
|---|---|---|
| 中山晋平 | シャボン玉・兎のダンス・肩たたき | 野口雨情・西條八十 |
| 山田耕筰 | 赤とんぼ・この道・からたちの花 | 三木露風・北原白秋 |
| 本居長世 | 七つの子・赤い靴・十五夜お月さん | 野口雨情 |
| 弘田龍太郎 | 雀の学校・春よ来い・浜千鳥 | 清水かつら |
つまり、有名な童謡のほとんどは、名詞コンビによるチームワークの産物ということです。
※中山晋平の生涯と作品リストが公式サイトで詳しく紹介されています。作品数1,805曲という具体的なデータも確認できます。
童謡作家の背景を保育活動に活かす独自実践|語りかけと季節行事への応用
童謡作家の生涯や歌詞の背景を知ることは、保育士として「歌を伝える力」を高める直接の手段になります。多くの保育士が「歌詞の意味を子どもに伝える機会がない」と感じていますが、実はそれは難しく考えすぎているケースがほとんどです。
たとえば、秋の活動で「赤とんぼ」を歌う前に、「この歌は遠いお山の近くに住んでいた人が、昔のことを思い出して作った歌なんだよ」と一言添えるだけで、子どもたちの聴き方が変わります。難しい言葉は一切いりません。歌詞の情景が”誰かの思い出”であると知るだけで、子どもたちは自分の経験と照らし合わせる想像力を働かせるからです。
これが情操教育の核心です。
また、季節行事との結びつけは非常に効果的です。具体的な活用場面をまとめると次のようになります。
- 🌸 春の製作活動:「からたちの花」(北原白秋)→ 白い花の制作と合わせる
- ☔ 雨の日の室内遊び:「あめふり」(北原白秋・中山晋平)→ 窓の雨粒を観察しながら歌う
- 🍂 秋の自然観察:「赤とんぼ」(三木露風・山田耕筰)→ 園庭でトンボを探す活動と連携
- 🌙 お月見行事:「十五夜お月さん」(野口雨情・本居長世)→ 月の絵を描く活動に導入として使う
- 🎍 冬の落ち着いた時間:「ゆりかごのうた」(北原白秋・草川信)→ 午睡前や静かな時間に
歌詞の背景と季節感・行事を結びつけることで、子どもたちは「この歌はこの季節の歌だ」という感覚的な記憶とともに童謡を覚えます。その記憶は大人になっても消えません。
保育士として童謡作家の知識を深めたい場合は、国際子ども図書館(国立国会図書館)が公開している「日本の子どもの文学—童謡」のページや、国立音楽大学付属図書館の「童謡・唱歌索引」も参考になります。どちらも無料で閲覧できます。
さらに、保育士試験の「保育実習理論」では、赤い鳥運動・主な童謡作家・代表作の組み合わせが毎年のように出題されています。試験勉強を兼ねて、保育現場で実際に歌いながら覚えることが、もっとも効率的な学習方法といえるでしょう。
日本の子どもの文学|童謡ページ(国立国会図書館 国際子ども図書館)
※北原白秋・野口雨情ら童謡作家の歩みと、童謡の歴史的背景を国の機関が詳しく紹介しているページです。信頼性の高い一次資料として保育士試験の勉強にも活用できます。
※保育士試験「保育実習理論」で問われる、唱歌・童謡の違いや赤い鳥運動の要点を一問一答形式で確認できるサイトです。

