一年生になったら歌詞が怖いと言われる都市伝説と本当の意味
この歌を子どもに歌わせていると、あなたは知らずにのけ者を量産しているかもしれません。
一年生になったら歌詞の全文と基本情報
卒園式の定番曲として保育の現場でも長く親しまれてきた「一年生になったら」は、1966年に発表された童謡です。作詞はまど・みちお、作曲は山本直純という、当時を代表するクリエイターが手がけた作品です。
まず、歌詞の全文を確認しておきましょう。
| 番 | 歌詞 |
|---|---|
| 1番 | いちねんせいに なったら/いちねんせいに なったら/ともだちひゃくにん できるかな/ひゃくにんで たべたいな/ふじさんのうえで おにぎりを/ぱっくん ぱっくん ぱっくんと |
| 2番 | いちねんせいに なったら/いちねんせいに なったら/ともだちひゃくにん できるかな/ひゃくにんで かけたいな/にほんじゅうを ひとまわり/どんどん どんどん どんどんと |
| 3番 | いちねんせいに なったら/いちねんせいに なったら/ともだちひゃくにん できるかな/ひゃくにんで ふるわせよう/せかいじゅうを でんしんばしら/はっはっ はっはっ はっはっと |
1番では富士山の頂上でおにぎりを食べるシーン、2番では100人で日本中を駆け回るシーン、3番では世界中をでんしんばしらを揺らして震わせるシーンが描かれています。スケールが1番から3番にかけて「日本→世界」と順に拡大していく構造も、この歌の特徴のひとつです。
幼稚園や保育園の卒園式でよく歌われるほか、山口県周南市(旧徳山市)の徳山駅では在来線下りホームの接近メロディとして採用されているほど、地元との深い縁があります。
参考情報:曲の基本データはWikipediaでも確認できます。
一年生になったら歌詞が怖いと言われる都市伝説の種類
「一年生になったら」が「怖い」と検索されるようになったのは、主にネット上に流布する都市伝説がきっかけです。代表的なパターンを整理しておきましょう。
まず最もよく知られているのが、人数の計算が合わないという矛盾です。「友達100人できるかな」という歌詞は、自分(1人)+友達(100人)=合計101人になるはずです。しかし歌詞の中では「100人で食べたいな」「100人でかけたいな」と行動する人数を100人と表現しています。
- 🔢 自分(1)+友達(100)=101人
- 🎵 歌詞に登場するのは「100人で」食べる・走る
- ❓ 結果:1人だけどこかに消えているという疑問が生まれる
この「消えた1人」の行方をめぐって、いくつかの解釈が生まれました。その中で最もグロテスクに広まったのがカニバリズム(食人)説です。「100人で食べたいな」という歌詞の助詞「で」を「100人を使って食べる」と読み替え、消えた1人がおにぎりの代わりに食べられてしまった、という解釈です。
もう少し社会的な解釈として広まったのがサバイバル・間引き説です。101人いた子どもたちが、富士登山や日本一周という過酷な試練の中で脱落者が出て、生き残った100人だけが食事をしているという読み方です。特に2番の「日本中を」、3番の「世界中を」と舞台が拡大していく展開が、競争社会のメタファーとして語られることもあります。
さらにスピリチュアルな観点から語られる天国・霊界説もあります。「富士山の上」を雲の上=天国と解釈し、主人公が入学前に亡くなっていて、天国で「一年生になる」夢を叶えようとしているという読み方です。この場合、人数が合わないのは主人公が幽霊だからカウントされていない(0+100=100)という説明がなされます。
怖い解釈が多いですね。ただしこれらはすべて、創作的な言葉遊びから生まれたものに過ぎません。
参考記事:各都市伝説の詳細な分析はこちらのサイトにまとめられています。
「一年生になったら」の歌詞が怖い?都市伝説の真相と矛盾を徹底解説(notecrux.com)
一年生になったら歌詞の怖い解釈は間違い!作詞者が込めた本当の意味
都市伝説の「怖い」解釈はあくまでも創作です。作詞者のまど・みちお氏が何を考えてこの歌詞を書いたのかを知ると、まったく別の景色が見えてきます。
まど・みちおは1909年生まれの詩人で、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」など、保育の現場でも長く親しまれてきた名作をいくつも残しています。1994年には、いわゆる「児童文学のノーベル賞」とも呼ばれる国際アンデルセン賞作家賞を日本人として初めて受賞した詩人です。その後も2003年には日本芸術院賞を受賞しており、日本が世界に誇る子どもの文学者です。
まど・みちお氏が残した「うつくしいことば」という詩には、こんな一節があります。
たのしそうに 口にしあっている
―ともだち
といううつくしい ことばを
ともだちで ないものは
しらんぷり しておこうよという いみにして…
これは「友達」という言葉が持つ「友達以外はシャットアウトする」という無意識の排他性を批判した詩です。特定の「友達」グループを作ることが、同時に「そこに入れない誰か」を生み出す。まど氏はそのことに対して非常に敏感な詩人でした。
この視点から「一年生になったら」を読み直すと、「ともだちひゃくにんできるかな」は「できるだけ多くの仲間を」という意味ではなく、「クラスの仲間を誰ひとりのけ者にしないで、全員と友達でいたい」という願いだったと理解できます。
つまり「100人」という数字は人数の精密なカウントではありません。「クラス全員」「誰も仲間外れにしない」という意志の象徴的な表現なのです。日本語の「八百万の神」が「ちょうど800万人いる神様」ではなく「数えきれないほどの神」を意味するのと同じ感覚です。
つまり「怖い歌」ではなく「全員を大切にする歌」です。
参考記事:まど・みちお氏の詩の深い考察が読めます。
一年生になったら歌詞の「1人足りない矛盾」の合理的な解消法
「結局101人になるはずが100人しか描かれていない」という矛盾は、どう考えれば自然に解決できるのでしょうか。ここでは論理的に納得できる3つの視点を紹介します。
視点①:「100人」は正確な人数の確定ではない
日常会話では「みんなで行こう」と同じように「100人で」という表現が使われることがあります。「100人」という数字は親しみやすく、子どもにとって覚えやすいキリのよい数字です。歌詞全体として「たくさんの仲間と」という意味合いであり、そこに算数の厳密さを持ち込むこと自体が場違いとも言えます。
視点②:自分自身も「100人」の一員として数える
「友達100人できるかな」を「自分を含めて100人の輪を作れるかな」という意味で捉えると、「100人で食べたいな」は「自分も含めた全員」で食べる場面になります。この場合、消えた1人など存在せず、全員が輪になって仲よく食べている、という完全な景色が成立します。
視点③:1人は何かの理由で参加できなかった
もっとシンプルに考えれば、101人のうち当日体調が悪かったり、引っ越しで離れてしまったりして1人だけ参加できなかった、というごく自然な解釈も成り立ちます。
これは問題ありません。
どの解釈をとっても、この歌が「怖い」歌である必然性はどこにもありません。むしろ子どもたちが抱く「入学したらたくさん友達ができるかな」という純粋なワクワク感が、歌の中心にあることは変わらないのです。
一年生になったら歌詞と都市伝説が保育士にとって重要な理由【独自視点】
「一年生になったら」の歌詞の怖い都市伝説を、保育士はただの「豆知識」として捉えていていいのでしょうか。実は、この歌にまつわる議論は保育の現場にとって非常に示唆に富んでいます。
まず前提として、まど・みちおが「100人全員を友達に」という願いを込めてこの歌を作った事実があります。これは、現代の保育理念と完全に一致しているという点が重要です。「誰ひとりのけ者にしない」「すべての子どもが居場所を持てる集団を育てる」という考え方は、保育所保育指針でも人間関係の領域で強調されている視点です。
- 🏫 厚生労働省の保育所保育指針では「人間関係」の領域において、「友達と仲よく遊ぶ」だけでなく「友達の気持ちに気づく」ことが保育目標として明記されている
- 📌 特定の子どもだけが「友達グループ」に入れない状況は、3〜5歳頃から現れ始めると言われている
- 💡 「ともだちひゃくにんぜんいん」というまど・みちおのメッセージは、この時期の保育目標に直接つながっている
また、保育士が卒園式でこの歌を使う場合、歌詞の意味をどう子どもに説明するかも重要です。都市伝説を知っている保護者が「あの歌って怖いんじゃないの?」と疑問を持つケースがあります。そのとき「この歌はまど・みちおさんが、誰ひとりのけ者にしないでほしいという気持ちで作ったんです」と説明できる保育士は、保護者からの信頼も高まります。
さらに、この歌が保育士試験の課題曲に選ばれていた(平成29年度)という実績もあります。保育士として弾き歌いの技術を磨く際にも、歌詞の背景理解は欠かせません。曲の意図を理解したうえで歌うことで、子どもへの伝わり方も変わってきます。
歌の意味がわかると指導の質が上がります。
保育士として歌の指導に自信をもって取り組むためには、ピアノ技術だけでなく歌詞の文脈理解も必要です。保育士試験対策としても、まど・みちお作品の背景知識は他の試験対策にも横断的に役立つため、まど氏の詩集や作品論に一度目を通しておくと長期的な備えになります。
参考情報:保育での歌の指導について詳しくまとめられています。
感動の卒園ソング 子どもが楽しく上達する教え方(ほいくis)
一年生になったら歌詞と怖い都市伝説まとめ:保育士として正しく伝えるために
「一年生になったら」の歌詞が怖いと言われる背景には、友達100人という数字の人数矛盾と、そこに言葉遊びで乗っかった創作的な都市伝説があります。カニバリズム説、間引き説、天国説など、複数のバリエーションに発展していますが、いずれも根拠のないフィクションです。
科学的な視点で見ると、富士山頂(標高3,776m)では水の沸点が約87〜88℃まで下がるため、お米の芯が残りやすいという実際のリスクは存在します。これは都市伝説とは別次元の話ですが、「富士山でおにぎりを食べる」という歌詞の描写がある種の現実的困難を伴うことも、議論が尽きない理由のひとつかもしれません。
ただし最も大切なのは、作詞者まど・みちおが「ともだちひゃくにんぜんいん」という表現を通じて「のけ者を作らないでほしい」という強い願いをこの歌に込めたという事実です。
- ✅ 「怖い」都市伝説はすべて言葉遊びの創作であり根拠はない
- ✅ 作詞者まど・みちおの本当のメッセージは「全員が友達」という包括的な願い
- ✅ 1人足りない矛盾は「100人=象徴的な全員」と捉えることで自然に解消できる
- ✅ 保育士として歌詞の背景を知ることで、指導の質と保護者対応の信頼度が上がる
- ✅ 国際アンデルセン賞を受賞したまど・みちお作品を深く理解することは、保育士試験対策にも役立つ
「一年生になったら」は「怖い歌」でも「謎の多い歌」でもありません。60年近く歌い継がれてきたこの童謡は、子どもたちの心に「誰ひとり置いていかない」という温かな気持ちを育てるために作られた歌です。
卒園式でこの歌を子どもたちと歌うとき、作詞者の願いを心の中に置いてほしいですね。そのうえで歌う「ぱっくん ぱっくん ぱっくんと」は、きっとずっと明るく、温かく響くはずです。
参考情報:まど・みちお氏の作品と哲学についてはNHKのアーカイブが詳しいです。


