野口雨情代表作と童謡
シャボン玉は亡くなった娘への思いが込められています。
野口雨情の童謡作品一覧と特徴
野口雨情(1882-1945年)は63年の生涯で約800編の童謡を作詞しました。代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など多数あります。wikipedia+1
北原白秋、西條八十とともに童謡界の三大詩人と称されています。雨情の作品は虚飾のない素朴さと美しい叙情にあふれているのが特徴です。kidsgarden.carillon+1
中山晋平や本居長世といった作曲家とコンビを組み、次々と名作を生み出しました。大正10年(1921年)には『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』を発表し、いずれも大ヒットとなっています。
つまり大正期が雨情の創作の絶頂期です。
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野口雨情作品の作詞背景と実話
雨情の童謡には個人的な悲劇が深く影響しています。明治41年(1908年)、雨情が26歳のとき長女みどりが生後わずか8日で亡くなりました。この出来事は生涯忘れることのできない深い悲しみとなったのです。bubble-works+1
悲劇はそれだけでは終わりませんでした。『シャボン玉』が発表された翌年の大正13年(1924年)、四女恒子も満2歳で急逝しています。公私にわたる複雑な感情が雨情の心を支配していた時期です。
『七つの子』の「七つ」には7歳の長男雅夫に家族を託す思いが込められていたとされます。雨情が家族を残して単身旅立つ際の寂しく辛い心境が、「七」「古巣」「可愛」という言葉を繋げた歌詞になったそうです。
厳しいところですね。
参考)カラス博士の研究余話【第24回】~童謡:『七つの子』の不思議…
『赤い靴』は1919年に茨城県北茨城市で生まれた佐藤キミという少女がモデルとされています。アメリカ人宣教師夫妻に引き取られる予定でしたが、病のため渡米できずわずか9歳で夭折した実在の少女です。雨情はこの事件を新聞で知り、悲劇的な内容に心を動かされて童謡を書いたといわれています。ujokinenkan+1
野口雨情『シャボン玉』の意味と解釈
『シャボン玉』は中山晋平の作曲で大正12年(1923年)に発表されました。「生まれてすぐにこわれて消えた」という歌詞に、多くの人が切なさを感じるはずです。
この歌詞の背景には、前述の長女みどりの死が影響していると多くの文献で指摘されています。生後8日で亡くなった娘への思いが、シャボン玉の儚さに重ねられているということですね。
参考)シャボン玉の歌詞が悲しい理由とは?幻の3番と雨情の真実
さらに四女恒子の死から12年が経過した時点で、雨情は幻の3番を作ったとされています。悲しみが昇華され、より深い人生観が形成された結果です。この追加歌詞により、作品に込められた感情の層が一層厚くなりました。
保育現場では、この歌を単なる遊び歌として扱うのではなく、命の儚さや大切さを考えるきっかけとして活用できます。ただし年少児には難しいため、年中・年長向けの活動が適切です。
野口雨情『赤い靴』に込められた社会批判
『赤い靴』は1922年(大正11年)に本居長世の作曲で発表されました。「異人さんにつれられて行っちゃった」という歌詞は、実在のキミという少女の物語を元にしています。i472.hatenablog+1
雨情は著書『童謡と童心藝術』の自作解説で、「赤い靴とか、青い目になってしまっただろうとかいうことばのかげにはその女の児に対する惻隠の情がふくまれている」と述べています。表面的な歌詞の奥に深い思いやりがあるわけです。
参考)北茨城市歴史民俗資料館
この歌詞には当時の日本社会に対する批判や、子供の未来に対する不安も表現されているとされます。異人さんに引き取られるという、当時の日本人にとって異常な体験をした少女への同情です。
保育現場では、この歌を通じて「異なる文化」「別れ」「待つこと」といったテーマを扱えます。歌詞の意味を深く説明する必要はありませんが、保育士自身が背景を理解しておくことで、子どもからの質問に適切に対応できます。
子どもの発達段階に応じた説明が基本です。
野口雨情『七つの子』論争と解釈
『七つの子』は本居長世の作曲で1921年(大正10年)に発表されました。「七つの子」が7羽の子なのか7歳の子なのかという論争が長年続いています。worldfolksong+2
雨情自身はこの論争について「七羽でも、七歳でも、歌ってくださる方がなっとくされりゃ、それで、よござんしょ―」と述べています。
つまり解釈は歌い手に委ねているわけです。
参考)カラスの子育て期の今、謎めいた童謡「七つの子」について考えて…
実際には雨情が家族を残して旅立つ際、7歳の長男雅夫に家族を託す思いと、故郷に家族を置いて一人旅に出る寂しく辛い心境が歌詞になったとされます。「古巣」という言葉には故郷への思いが込められているということですね。
カラスを見送りながら「からすにもきっと山にたくさんのかわいい子があるに違いない」という気分を歌ったもので、雨情の優しい気持ちが生み出した詩であることは間違いありません。
意外ですね。
保育現場ではこの論争を子どもに詳しく説明する必要はありませんが、「いろいろな考え方がある」ことを伝えるきっかけにできます。
想像力を育てる教材として活用可能です。
野口雨情童謡の保育現場での活用方法
雨情の童謡は保育現場で幅広く活用されています。『十五夜お月さん』は季節の行事と結びつけて、お月見の時期に歌うことで日本の伝統文化への理解を深められます。
『こがね虫』『あの町この町』などは散歩や園外活動の際に歌うことで、自然への興味を引き出せます。リズムが親しみやすく、子どもたちが自然に口ずさみやすいのが特徴です。burari2161.fc2web+1
『証城寺の狸囃子』はリズム遊びや手遊びと組み合わせることで、音楽表現活動に発展させられます。テンポが良く、体を動かしながら楽しめるため、年少児から年長児まで幅広い年齢層に対応できます。
これは使えそうです。
保育士は雨情の童謡に込められた背景を理解した上で、子どもの年齢や発達段階に応じた活用方法を選択することが重要です。深い意味は説明せず、まずは歌の楽しさを体験させることが原則です。年長児には歌詞の意味を少しずつ考えさせる活動も可能になります。
歌詞カードを作成して保護者にも共有することで、家庭でも童謡を楽しむ環境を作れます。雨情の作品は世代を超えて歌い継がれているため、祖父母世代との交流のきっかけにもなります。
野口雨情記念館公式サイトでは、雨情の生涯や作品について詳しい情報が掲載されています。保育計画を立てる際の参考資料として活用できます。

青い眼の人形 (青空文庫POD(シニア版))

