土井晩翠校歌高校で歌われる名作の魅力と意外な秘密

土井晩翠校歌高校

土井晩翠が作詞した校歌は、実は保育園の運動会で歌う機会もあります。

3つのポイントで知る土井晩翠の校歌
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全国293校が採用

北海道から鹿児島まで、高校を中心に全国で晩翠作詞の校歌が歌われています

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格調高い歌詞が特徴

「荒城の月」の作詞者として知られ、七五調の美しい日本語で作詞しています

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明治から昭和にかけて活躍

1901年から約60年間、大正から昭和初期に約200校の校歌を手がけました

土井晩翠が作詞した高校校歌の数と広がり

 

土井晩翠が作詞した校歌は、平成16年に確認されただけで293校に達します。この数字は当時の調査で判明したものであり、実際にはさらに多くの可能性があります。晩翠は仙台空襲で家も蔵書の大部分も失ったため、校歌の情報が手元になく、後から追って調べたものだそうです。

つまり記録が不完全なのです。

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高校だけでなく、小学校や中学校、大学まで幅広く作詞を手がけました。代表的な高校としては、群馬県立太田高等学校(1904年制定)、島根県立大田高等学校(1928年制定)、静岡県立清水東高等学校(1928年制定)などが挙げられます。北海道から鹿児島まで、まさに全国規模の広がりです。smt+4

1901年に「荒城の月」が発表されて以来、校歌作詞の依頼が相次ぎました。これは晩翠の詩人としての名声が全国に広まった証拠と言えます。当時の学校関係者にとって、晩翠に作詞を依頼することは大きなステータスだったのでしょう。

参考)https://www.smt.jp/library/teaching/archives/

地域ごとに特色がありますが、共通しているのは格調高い文語体の歌詞です。保育士として卒園児が進学する高校の校歌を知っておくと、子どもたちとの会話に深みが出ます。「あなたの小学校の卒業生が通う○○高校も、晩翠先生の校歌なんですよ」と伝えられますね。

土井晩翠校歌に見られる独特な作詞スタイル

晩翠の校歌には、七五調のリズムと格調高い文語体が特徴的です。「荒城の月」でも使われたこのスタイルは、日本の伝統的な詩の形式を西洋音楽に融合させたものでした。「春高楼の花の宴」という歌詞からも分かるように、視覚的なイメージを喚起する表現が多用されています。utaten+1

島根県立大田高等学校の校歌では「大地に根を据ゑ三千餘尺 三瓶の名山虚空を凌ぐ」と、地域の自然を雄大に描写しています。静岡県立清水東高等学校の校歌では「世界の四方にうたはるる 富士の名山朝夕に」と富士山を題材にしています。このように、その土地の象徴的な風景を織り込むのが晩翠流です。shimizu-higashi+1

特に福島高校校歌の5番の歌詞が素晴らしいと評価されているそうです。複数のパートに分かれてハモることができるのは、晩翠作詞の校歌では福島高校が唯一とも言われています。音楽的な構成まで考慮した作詞だったということですね。miyagi-baienkai+1

保育園で子どもたちに歌を教える際、こうした格調高い日本語に触れる機会を作ることも大切です。難しい言葉でも、繰り返し歌うことで自然と身につきます。年長児なら「むかしの光いまいずこ」のような表現にも挑戦できるでしょう。

土井晩翠と「荒城の月」の関係

土井晩翠の名を不朽のものにしたのが、滝廉太郎作曲の「荒城の月」です。1898年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の依頼で晩翠が作詞し、この詩に合う曲を公募したところ、当時学生だった滝廉太郎の曲が入選しました。1901年に「中学唱歌」という本に発表され、2007年には文化庁と日本PTA協議会により「日本の歌百選」に選定されています。kojyo.xrea+1

興味深いことに、土井晩翠と滝廉太郎は一度しか会っていません。

それも偶然乗り合わせた船の上でした。

留学中だった滝が病気のため帰国する途中、ロンドンに寄港した際に晩翠と会うことができたのです。滝は帰国後まもなく23歳で亡くなっていますので、これが最初で最後の出会いでした。

参考)301 Moved Permanently

晩翠が「荒城の月」の詞を構想したのは宮城県仙台市の青葉城址とされています。一方、滝廉太郎が曲を構想したのは大分県竹田市の岡城址です。異なる場所で生まれた詩と曲が融合して、日本を代表する名曲となったのです。

このエピソードは感動的ですね。

保育園で「荒城の月」を教える機会は少ないかもしれませんが、年長児の卒園前に日本の伝統的な歌として紹介することもできます。歌詞の意味を子どもたちに分かりやすく説明し、「昔のお城を思い出している歌だよ」と伝えましょう。

せんだいメディアテークには土井晩翠作詞の校歌物語の詳細な資料があります

保育士が知っておきたい土井晩翠校歌の教育的価値

土井晩翠の校歌には、建学の精神を体した格調高い内容が込められています。群馬県立太田高等学校の校歌は明治37年ごろに制定され、初代校長が第二高等学校の同窓生である晩翠に依頼したものです。このように、教育者としての理念や地域への誇りを歌詞に反映させることで、生徒たちに帰属意識や向上心を育む狙いがありました。sekiou-ob+1

保育園でも、園歌や運動会の歌を通じて、子どもたちに所属感を育てることができます。晩翠の校歌のように、その場所の特徴や目指す姿を歌詞に織り込むと効果的です。「○○保育園の子どもたちは元気いっぱい」といった具体的な表現が、子どもたちの自己肯定感を高めます。

晩翠作詞の校歌を歌う高校は、毎年同窓会で校歌を合唱する伝統を持つところが多いようです。大学生から70代までの同窓生が集まり、高らかに校歌を歌いあげる様子は感動的です。このような世代を超えたつながりが、校歌の持つ力と言えるでしょう。miyagi-baienkai+1

保育士として、卒園児が進学先で校歌を歌う姿を想像すると嬉しくなりますね。園で教えた歌を通じて、音楽の楽しさや歌詞の意味を考える習慣が身についていれば、中学や高校でも活かされます。「歌うのは楽しい」という感覚を、幼児期にしっかり味わわせてあげましょう。

土井晩翠校歌を現代の保育に活かす方法

晩翠の校歌のような格調高い日本語は、現代の保育でも十分に活用できます。年長児クラスで日本の伝統的な歌や詩に触れる活動を取り入れることで、語彙力や表現力が豊かになります。「春高楼の花の宴」のような美しい表現を、絵本や紙芝居と組み合わせて視覚的に伝えると効果的です。

保育園での歌の教え方として、まず保育士自身が心を込めて楽しそうに歌うことが大切です。

子どもたちは保育士の姿を見本にします。

歌詞の意味を説明する際は、子どもの年齢に合わせて分かりやすい言葉に置き換えましょう。例えば「むかし」は「昔々」、「いずこ」は「どこにあるのかな」といった具合です。

卒園式や運動会で、晩翠作詞の校歌を持つ小学校に進学する子どもがいる場合、その校歌の一部を紹介するのも良いアイデアです。「あなたが通う○○小学校の校歌は、とても有名な詩人が作ったんだよ」と伝えることで、進学への期待感が高まります。

保護者も喜ぶでしょう。

歌詞に出てくる自然や風景について、実際に写真や絵を見せながら説明すると理解が深まります。「富士山」「松」「桜」など、晩翠の校歌によく登場する題材を、季節の活動と結びつけることもできますね。春には桜を見に行き、「校歌にも桜が出てくるよ」と話すことで、歌詞と実体験がつながります。

保育園での歌の教え方について、こちらのサイトに詳しい指導のコツが掲載されています

晩翠詩抄 改版 (岩波文庫 緑 20-1)