たなばたさま

たなばたさまの歌詞

ささの葉 さらさら
のきばに ゆれる
きらきら お星さま
きんぎん すなご

ごしきの たんざく
わたしが かいた
きらきら お星さま
そらから みてる

笹の葉がさらさらと軒先で揺れる情景を描写し、夜空で輝く星々を金銀砂子に例えています。五色の短冊に願い事を書いて笹に飾る七夕の風習が歌われています。

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たなばたさまの作曲者

下総皖一(しもふさ かんいち)は、本名を下總覺三といい、1898年3月31日に埼玉県北埼玉郡原道村砂原(現在の加須市)で生まれました。東京芸術大学の教授として和声学などの音楽理論を確立し、日本近代音楽の基礎を築いた人物です。

下総は、たなばたさまや野菊などの童謡・唱歌のほか、全国の校歌や県歌・市歌、合唱曲など約3000曲を手がけました。特に、たなばたさまは権藤花代が作詞、林柳波が補作詞し、下総皖一が作曲した作品として知られています。

1962年7月8日、下総皖一は64歳でこの世を去りました。彼は日本の童謡・唱歌の発展に大きく貢献した作曲家・音楽教育者であり、特にたなばたさまは彼の代表作の一つとして今なお広く親しまれています。

たなばたさまの作詞者

童謡「たなばたさま」の作詞者は、1899年に山梨県で生まれた権藤はなよ(本名:権藤花代)さんです。権藤はなよは山梨女子師範本科を卒業後、1924年に声楽家の権藤円立と結婚し、東京の吉祥寺に住んでいました。

1941年に発表された「たなばたさま」の作詞を手掛けましたが、作曲は音楽教育家の下総皖一、補作詞は詩人の林柳波が担当しています。当初、この童謡は文部省唱歌として作者のクレジットなしで出版されたため、その後林柳波の作詞とされた時期もありましたが、現在は権藤はなよの作詞として改められています。

権藤はなよは童謡詩人として知られ、夫の権藤円立とともに東京で暮らしながら童謡の創作活動を行っていました。1961年11月3日に亡くなりましたが、「たなばたさま」をはじめとする彼女の作品は今なお親しまれています。

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