野口雨情代表作
実は「シャボン玉」は雨情が亡くした娘への鎮魂歌だったんです。
野口雨情の生涯と童謡作家への道
野口雨情は1882年(明治15年)に茨城県北茨城市で生まれた童謡詩人です。北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人といわれています。wikipedia+1
雨情の人生は挫折から始まりました。1904年(明治37年)、父の事業失敗と死により、22歳の雨情は文学への夢を抱きながらも故郷に帰って家督を継ぐことになります。この挫折体験こそが、後に雨情の詩に独特の哀愁と深みを与える源泉となりました。
雨情は詩人・石川啄木と親交がありました。啄木との交流が彼の詩に新たな視点を与え、特に人々の生活や自然への関心を深めるきっかけとなったのです。
生涯を通じて雨情は「はぐれる」とか「取り返しのつかない」という消息を歌いつづけた詩人でした。
つまり喪失の詩人です。
参考)700夜 『野口雨情詩集』 野口雨情 − 松岡正剛の千夜…
現在、雨情の生家は茨城県北茨城市磯原町にある「野口雨情記念館」として一般に公開されており、彼の生涯や業績についての資料が展示されています。
野口雨情の代表作品一覧と特徴
野口雨情の代表作は非常に多く、枚挙にいとまがありません。
主な作品を年代順に見ていきましょう。
大正10年(1921年)には『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』がすべて発表されました。
これらはすべて本居長世の作曲です。
『七つの子』は「烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛い七つの 子があるからよ」という歌い出しで始まる名曲です。uta-net+1
大正12年(1923年)には『シャボン玉』が発表されました。
作曲は中山晋平です。
『證城寺の狸囃子』も中山晋平作曲の代表作で、千葉県木更津市にある證誠寺に伝わる「狸囃子伝説」をヒントとして作られました。kyoto-wel+2
他にも『十五夜お月さん』『あの町この町』『雨降りお月さん』『黄金虫』『兎のダンス』『木の葉のお船』など、保育現場で今も歌われる作品が数多くあります。雨情作品には中山晋平と本居長世という二大作曲家が関わっています。ujokinenkan+1
雨情の作品は童謡だけでなく、『船頭小唄』『波浮の港』など歌謡曲や新民謡の分野でも名曲を残しています。
全ジャンルで活躍した詩人です。
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「シャボン玉」に込められた野口雨情の悲しみ
「シャボン玉」の歌詞を理解する上で最も重要なのが、野口雨情の個人的な体験です。1908年(明治41年)、雨情の長女みどりが生後わずか8日で亡くなりました。この出来事は、雨情にとって生涯忘れることのできない深い悲しみとなりました。
悲劇はそれだけでは終わりませんでした。『シャボン玉』が発表された翌年の1924年(大正13年)、雨情の四女恒子も満2歳の若さで急逝してしまいます。この時期は、まさに雨情が童謡作家として名声を確立しつつあった時期でもありました。
特に注目すべきは「生まれてすぐに」という表現です。「生まれる」という言葉は通常、生きているものに対して使われる動詞です。シャボン玉という無機物に対してこの言葉を使うことで、雨情は明らかに人間の生命を暗示しています。utaten+1
「生まれてすぐに消えたシャボン玉」は「幼くして亡くなった子供」の比喩だという解釈が可能です。
参考)童謡「シャボン玉」は幼くして亡くなった子の鎮魂歌?ちょっと怖…
ただし生後まもなく亡くなった我が子への思いを歌ったという解釈を示す資料はなく、普遍的なものとしてこの世に偏在する悲しみや切なさを深く感じていた雨情の心がこの詩にも現れていると捉えることもできます。雨情は子どもが無邪気に遊ぶ姿をそのまま捉え、深い愛情と慈悲をもって描いた詩人でした。
参考)童謡の世界 〜野口雨情としゃぼん玉〜 │ 教育学部・児童学科…
「赤い靴」の真実と実在したモデル
「赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった」という歌詞で知られる『赤い靴』には、実は実話に基づくという説があります。この女の子のモデルになった子は「きみちゃん」という実在の少女です。kusanomido+1
きみちゃんを実際に連れていってしまったのは「異人さん」ではなく、結核でした。この歌は外国に売り飛ばされる女の子を歌ったものだとか人身売買の童謡だというのは誤解です。
参考)赤い靴秘話PartⅠ~異人さんに連れられて・・・行っていない…
きみちゃんは結核に冒され、9歳でひっそりとその小さな命を終えたのです。「異人さん」であるヒューエット夫妻はいたが、歌詞とは異なり実は異人さんに連れられて海を渡って行っていなかった、行くに行かれなかったのです。夫妻には帰国命令も現実、きみちゃんには結核と、皮肉にもこのタイミングで重大な運命の歯車が重なり合い、事態はここで大きく変わることになりました。
野口雨情は、かよ夫妻からきみちゃんの話を聞き、それを詩として綴りました。そして本居長世が曲を付け、大正11年(1922年)に『赤い靴』が誕生したのです。
参考)【童謡・赤い靴】の女の子は実在していた? 9歳で亡くなった「…
ただしこの定説には根拠がないという反論や、取材不足を想像で埋めていたなどの異論も存在します。
いずれにせよ悲しい物語です。
野口雨情作品の保育現場での活用法
野口雨情の童謡は保育現場で非常に活用しやすい作品が揃っています。年齢別の導入方法を具体的に見ていきましょう。
0〜1歳児クラスでの活用では、『シャボン玉』や『あの町この町』など、ゆったりとしたテンポの曲が適しています。『シャボン玉』を歌いながら実際にシャボン玉を飛ばす活動を取り入れると、子どもたちは視覚と聴覚の両方で楽しめます。歌詞は短く、繰り返しが多いため、乳児でも親しみやすいですね。
2〜3歳児クラスでは、『兎のダンス』や『證城寺の狸囃子』などリズミカルな曲が効果的です。「ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス」という擬音語は子どもたちが真似しやすく、体を動かす活動と組み合わせられます。『證城寺の狸囃子』の「しょ、しょ、しょうじょうじ」という歌い出しは言葉遊びとしても楽しめます。douyou-shouka.himawari-song+1
4〜5歳児クラスでは、『七つの子』や『赤い靴』など物語性のある曲を導入できます。『七つの子』は「烏がなぜ啼くのか」という疑問形から始まり、親子の愛情を描いた作品です。子どもたちと「なぜ烏は啼くと思う?」と対話しながら歌うと、想像力が育ちます。
季節行事との連動も効果的です。『十五夜お月さん』はお月見の時期に、『雨降りお月さん』は梅雨の時期に歌うと、季節感を味わえます。
参考)北茨城市歴史民俗資料館
ただし作品の背景にある悲しみを子どもに直接伝える必要はありません。雨情作品の持つ美しいメロディーと優しい言葉を通じて、子どもたちの感性を育てることが基本です。
教育現場では、雨情の作品は歌や詩の美しさを伝える手段として活用されています。保育士として雨情の生涯や作品の背景を知っておくと、保護者からの質問にも答えられますし、より深みのある保育が実践できます。
野口雨情記念館の公式サイトでは、雨情の生涯や作品について詳しい資料が公開されています。保育の教材研究をする際の参考リンクとして活用できます。
野口雨情作品から学ぶ保育の本質
野口雨情の作品を通じて、保育士として大切にすべき視点が見えてきます。
それは「喪失と向き合う力」です。
雨情は「はぐれる」「取り返しのつかない」という消息を歌いつづけた詩人でした。「赤い靴はいてた女の子」は「異人さんに連れられて行っちゃった」ままであり、青い目をしたセルロイドの人形は「迷子になったらなんとしょう」「わたしは言葉がわからない」と涙ぐむばかりなのです。
これらは序破急の「序・破」ときて、「急」のところで見えなくなるものがあるという、そういう切羽詰まった消息をあらわしています。雨情はこのことを子供に口ずさませたかったのです。
現代の保育現場では、子どもたちを悲しみや喪失から遠ざけようとする傾向があります。しかし雨情の童謡は、美しいメロディーの中に人生の切なさや哀愁を織り込むことで、子どもたちの感受性を豊かに育てる役割を果たしています。
雨情の作品には「滑稽を通り越した洒脱なる諧謔」という要素もあります。『證城寺の狸囃子』のような楽しい曲と、『シャボン玉』のような哀愁を帯びた曲の両方を持つことで、雨情は子どもたちに人生の多様な側面を伝えようとしました。
保育士として、雨情作品を歌う時には「ただ楽しい歌」として終わらせるのではなく、その奥にある深い人間愛や自然への慈しみを、自分自身が感じ取ることが大切です。
それが保育の質を高めます。
雨情の詩は、自然と人々の暮らしを愛おしく描き、時にはその土地の風土や風景を歌にしたものもあります。こうした作品は、単なる歌詞にとどまらず、その地域の文化や歴史を伝える重要な資料となっています。保育の中で地域性を大切にする視点も学べますね。
子どもたちと一緒に雨情作品を歌う時、保育士自身が作品の背景を知り、深い愛情を持って歌うこと。
それが雨情作品から学ぶ保育の本質です。


