成田為三と保育園と童謡と赤い鳥

成田為三と保育園と童謡

この記事でわかること
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成田為三が童謡で果たした役割

「赤い鳥」童謡運動の流れと、保育園の歌あそびに直結するポイントを整理します。

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代表作の背景と“意外な”小話

「かなりや」「浜辺の歌」などの成立史を、導入トークに使える形で紹介します。

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保育園での実践に落とすコツ

歌う前の声かけ、発達段階への合わせ方、行事・季節とのつなぎ方を具体化します。

成田為三の赤い鳥と童謡の特徴

 

成田為三は、大正期に広がった童謡運動で活躍した作曲家として教科書系の解説でも位置づけられており、「子どものための歌」を芸術性を保ったまま形にしていった人物です。

保育園の現場で童謡が「歌いやすい」と感じられるとき、そこには“音域が極端に跳びすぎない”“短い動機が繰り返されて覚えやすい”“言葉の響きが生きるテンポ感”といった作曲上の工夫が隠れています。

また、童謡は「赤い鳥」に代表される大正期の児童文化の流れの中で発展し、詩人(北原白秋・西條八十・野口雨情など)と作曲家(成田為三・山田耕筰・中山晋平など)が組み、作品が多数生まれたことが保育向け研究でも整理されています。

保育士が押さえると実践がラクになる要点は次の通りです。

・童謡は「子どもが歌うこと」を前提に書かれた創作歌で、唱歌とは成り立ちが違う(導入で“昔の歌”と一括りにしないと理解が進む)。

参考)保育実習理論♪おぼえよう!音楽の基礎知識②わらべうた・唱歌・…

・「赤い鳥」由来の童謡は、言葉(詩)のイメージを音がなぞる設計が多く、絵本や自然観察との相性がよい(歌が“活動の導線”になる)。

成田為三のかなりやと童謡の位置づけ

成田為三の「かなりや」は、児童雑誌『赤い鳥』で“楽譜付き”で掲載された最初期の作品として紹介され、「日本の童謡の第1号」と位置づけられることがあります。

この話は保育園でも導入に使いやすく、「いま歌っている童謡は、当時“子どものための新しい歌”として世に出た」という歴史感を加えると、行事や誕生会の“由来コーナー”が引き締まります。

さらに、童謡を保育の中で扱う意義(子どもの生活・遊びの描写、歌い継ぐ価値)は保育実践研究でも論じられており、単なる音楽活動ではなく生活文化として扱える点が強みです。

「かなりや」を保育園で扱う際のポイント例です。

・歌詞の場面理解を先に作る:カナリヤという具体物(鳥)を入口にすると、年少でも参加しやすい。

参考)成田(なりた)為三(ためぞう) – 株式会社教育芸術社

・“速く正確に歌う”より、“ことばの表情”を優先:童謡運動の価値は芸術性にもあるため、発音と抑揚を丁寧に扱う。

参考)https://shijonawate-gakuen.repo.nii.ac.jp/record/796/files/518.pdf

・クラスの実態に合わせて短く区切る:サビ的な印象のフレーズから入り、通しは後日に回すと定着が早い。

参考)https://repository.lib.tottori-u.ac.jp/record/138/files/rs14(3)_1.pdf

成田為三の浜辺の歌と音楽教育

「浜辺の歌」は林古渓の詩に成田為三が曲を付けた歌曲で、詩の初出タイトルは《浜辺の歌》ではなく《はまべ》であり、詩には「作曲用試作」との一言が添えられていた、という解説が音楽事典で示されています。

作曲時期は大正4~5年頃とされ、のちに竹久夢二の装丁で《濱邊の歌》として出版された一方、タイトルの改定は成田自身によるものではない可能性がある、という点も“意外な豆知識”として語れます。

また、この曲には「後輩の倉辻正子にラブレターとして譜面を送った」とされる逸話や、出版の過程で3番と4番が合体されてしまったという話があり、教材として歌詞が2番までで扱われがちな理由の説明にもつながります。

保育園で「浜辺の歌」を扱う場合、幼児が“海辺を歩く心情”をそのまま歌うのは難しいことがありますが、次の橋渡しが有効です。

・散歩活動に接続:砂場・水遊び・波の音まねなど、身体経験→歌に戻すと理解が進む。

・時間の対比を作る:1番=朝、2番=夕方という構造は、生活リズム(朝の会帰りの会)と結びつけやすい。

・伴奏を“波”にする:ピアノ伴奏が波のような音型を続けるという解説があり、保育者の伴奏づくり(反復・揺れ)にヒントになる。

参考:成立史(詩の初出、出版時の改変、伴奏の描写)がまとまっていて、導入トークや教材研究に使える

浜辺の歌/Hamabe no uta - 成田 為三 - ピティナ・ピアノ曲事典
林古渓作詩、成田為三作曲による唱歌。初出詩は大正 2 年(1913)《浜辺の歌》ではなく、《はまべ》のタイトルで東京音楽学校校友会詩に発表されたものである。「作曲用試作」との一 言が添えられており、当時山田耕筰に作曲を師事していた成田以外の...

成田為三の保育園の歌あそび導入

成田為三は卒業後、小学校の音楽の先生をしながら作曲を続け、『赤い鳥』に多くの童謡を発表したとされ、教育現場と創作が近かった作曲家です。

この背景を踏まえると、保育園で成田為三の童謡を扱うときは「鑑賞」だけで終えず、生活・遊び・言葉の活動に接続したほうが作品の良さが出やすいです。

童謡が保育においてどのように扱われてきたか(保育現場における童謡実践の検討)が研究として蓄積されている点も、園内研修の根拠に使えます。

導入の型(明日から使える形)を提示します。

①「情景」を先に作る(絵カード・写真・実物)→②保育者が短く歌う→③子どもは“ことば”だけ言う→④メロディに乗せる、の順にすると参加のハードルが下がります。

保育士の声かけ例。

・「波みたいに、ゆらゆらの声で歌ってみよう」(浜辺の歌向け:伴奏の“波”イメージに接続)

・「小鳥の声って、どんな高さ?」(赤い鳥小鳥・ことりのうた等へ展開しやすい問い)​

さらに、行事につなぐと“歌う理由”が立ちます。

・春:新入園児向けに短い童謡(短い動機・繰り返し)を中心に。

・夏:浜辺の歌(海・水遊び)を“情景の歌”として鑑賞寄りに。

・秋冬:かなりや等を題材に「思いやり」や「気持ち」を言葉にする活動へ。

成田為三の童謡と和声学(独自視点)

成田為三は、ドイツ留学後にいくつかの学校で教えながら『和声学』などの著作も手がけたとされ、童謡の作曲家という印象以上に“理論家・教育者”としての面があります。

さらに、管弦楽曲やピアノ曲なども作ったが多くが空襲で失われた、と説明されており、「残っている童謡だけが成田為三の全体像ではない」という見方は保育者の語りの厚みになります。

この“理論と実践の両輪”を保育園の音楽活動に置き換えると、自由遊びの音(即興)を大事にしつつ、毎日の繰り返し(型)で子どもが安心して歌える環境を作る、という指導観にもつながります。

保育の現場での具体的な落とし込み(理論っぽく見せないのがコツ)

・和声学=「重ねる音の気持ち」と言い換える:同じ歌でも“明るい伴奏”“静かな伴奏”を弾き分け、子どもに違いを言葉で言ってもらう。

・空襲で作品が失われた=「残ったものを大切に歌う」へ:歴史の重さを“怖く”せず、「歌い継ぐ」価値として語る。

参考)成田為三 – Wikipedia

・童謡運動=「子どものために作られた新しい歌」:いま自分たちで替え歌を作る活動に展開し、子どもを“作者側”に立たせる。

参考:成田為三の略歴、赤い鳥での活動、「かなりや」の位置づけ、ドイツ留学、空襲で作品が失われたことまで教育的観点でまとまっている

成田(なりた)為三(ためぞう) – 株式会社教育芸術社

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