モーツァルト レクイエム歌詞と意味を保育士が知る全解説

モーツァルト レクイエムの歌詞を全曲で深く読み解く

レクイエムを「悲しみの音楽」と思っているなら、歌詞の本当の意味を知ると保育での使い方が180度変わります。

この記事でわかること
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レクイエムとは何か?

「死者のためのミサ曲」であるレクイエムの語源・意味・宗教的背景をわかりやすく解説。「鎮魂曲」という訳が実は誤訳に近いことも紹介します。

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全曲のラテン語歌詞と日本語訳

イントロイトゥスからコムニオまで8つの大区分を、歌詞・日本語訳・意味の解説つきで紹介。「ラクリモーサ」「ディエス・イレ」などの人気曲も詳細に解説します。

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保育の現場でどう活かすか

歌詞の意味を知ることで、子どもへの情操教育・音楽活動に深みが生まれます。モーツァルト効果の真実についても科学的な観点からご紹介します。

モーツァルト レクイエムとは何か―「鎮魂曲」という訳は誤訳?

 

レクイエム」という言葉を聞いて、多くの方は「鎮魂曲=死者の魂を鎮める音楽」とイメージするのではないでしょうか。日本語の辞書でも「鎮魂曲」と記されていることが多く、その印象は根強く定着しています。ところが、ここに少々やっかいな問題があります。

「鎮魂」というのは、もともと日本の神道において「生きている人の体から魂が抜け出さないように安定させること」を意味する言葉です。つまり、これは「生者のための儀式」です。一方、「レクイエム(Requiem)」はラテン語で「安息」を意味し、カトリック教会における「死者のためのミサ曲」のことを指します。死者の魂が神のもとで安らかに永遠の休息を得られるよう、残された者たちが祈りを捧げる音楽なのです。

つまり、日本語の「鎮魂曲」は厳密に言えば原語の意味とズレがある「名誤訳」とも言えます。これは日経新聞の文化欄でも指摘されており、知っているとクラシック音楽の説明に深みが増す豆知識です。

モーツァルトのレクイエムは、正式名称を「レクイエム ニ短調 K.626」といいます。1791年、彼の最後の年に作曲が始まり、未完のまま35歳でこの世を去りました。全曲が完成していないまま初演されたのは、他ならぬモーツァルト自身の葬儀ミサでした。つまり、作曲者が自分の葬儀で流された音楽を自ら書いていたという、歴史上類を見ない奇跡的な経緯を持つ作品です。

これが原則です。レクイエムは「死者を慰める音楽」ではなく、「死者の安息を神に祈る音楽」です。

歌詞はすべてカトリック教会のラテン語典礼文に基づいており、モーツァルトが独自の歌詞を書いたわけではありません。ただし一曲だけ例外があり、第2曲「キリエ(Kyrie)」の歌詞はギリシア語で書かれています。全曲唯一の例外です。

保育の現場でクラシック音楽を紹介する際にも、「レクイエムは怖い曲」と思い込まず、「神への祈りの音楽」として伝えることで、子どもたちの受け取り方が大きく変わります。いいことですね。

モーツァルト レクイエムの全曲歌詞と日本語訳一覧

ここでは、モーツァルトのレクイエム全8区分の歌詞をラテン語・日本語訳つきで整理してご紹介します。歌詞はカトリック教会の典礼文に基づいているため、作曲者によって変わるものではなく、フォーレやヴェルディのレクイエムとも多くの部分が共通しています。

まずは各曲の構成を確認しましょう。

区分 曲名(ラテン語) 意味
Introitus: Requiem(イントロイトゥス) 入祭唱
Kyrie(キリエ) 憐れみの賛歌
Ⅲ-1 Dies irae(ディエス・イレ) 怒りの日
Ⅲ-2 Tuba mirum(トゥーバ・ミルム) 奇しきラッパの響き
Ⅲ-3 Rex tremendae(レックス・トレメンデ) 恐るべき御稜威の王
Ⅲ-4 Recordare(レコルダーレ) 思い出したまえ
Ⅲ-5 Confutatis(コンフターティス) 呪われし者たちが
Ⅲ-6 Lacrimosa(ラクリモーサ) 涙の日
Ⅳ-1 Domine Jesu(ドミネ・イエス) 主イエス(奉献唱)
Ⅳ-2 Hostias(オスティアス) 賛美の生け贄
Sanctus(サンクトゥス) 聖なるかな
Benedictus(ベネディクトゥス) 祝福された者
Agnus Dei(アニュス・デイ) 神の小羊
Communio: Lux aeterna(コムニオ) 聖体拝領唱・永遠の光

実はこの全曲のうち、モーツァルト自身が最後まで完成させたのは第1曲「イントロイトゥス」だけです。第2曲「キリエ」はほぼ完成しており、それ以降の曲は断片的なスケッチが残されているのみでした。弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤー(1766-1803)が補筆・完成させた部分が全体の約半分以上を占めるとも言われています。

つまり全曲です。現在私たちが耳にするモーツァルトのレクイエムは、完全にモーツァルト一人の作品というわけではありません。このことを知った上で聴くと、また違った感慨があります。

「レクイエム(モーツァルト)」(Wikipedia)|作曲の背景・補筆の経緯・各曲の成立状況などが詳細に記載されています。

歌詞全文の日本語訳については、次のような権威ある対訳資料が参考になります。

「モーツァルト『レクイエム』対訳」(合唱メモランダム)|全曲のラテン語歌詞と日本語対訳が整理されており、合唱参加者や音楽愛好者に広く使われています。

歌詞の内容を大まかにまとめると、前半の続唱(セクエンツィア)は「最後の審判」の場面を劇的に描写し、後半では神への感謝・懇願・委託へとトーンが変わります。全体を通じて、恐れと希望が交互に現れる構成になっています。これが基本です。

モーツァルト レクイエムの名曲「ラクリモーサ」歌詞の深い意味

「ラクリモーサ(Lacrimosa)」は、モーツァルトのレクイエムの中でも最も有名な楽曲のひとつです。ラテン語で「涙の」「涙あふれる」を意味し、「涙の日」と日本語訳されることが多い曲です。

歌詞は次の通りです。

ラテン語 日本語訳
Lacrimosa dies illa 人が裁かれるために灰の中からよみがえる、その日は、涙あふれる日。
qua resurget ex favilla judicandus homo reus 罪ある人間が、灰の中からよみがえり裁かれるその日。
Huic ergo parce, Deus. それゆえ神よ、この者を惜しみたまえ。
Pie Jesu Domine, dona eis requiem. Amen. 慈悲深き主なるイエスよ、彼らに安息を与えたまえ。アーメン。

注目したいのは、この曲がモーツァルトの「絶筆」であるという事実です。モーツァルトが自らの手で書いたのは冒頭わずか8小節のみ。それ以降はジュースマイヤーによる補筆です。つまり、「涙の日」を作曲しながら、モーツァルト自身が途中で倒れ、その続きは他者の手によって書かれたというわけです。意外ですね。

この曲のリズムは3拍子の穏やかな揺れで始まります。まるで嗚咽するようなソプラノのメロディーは、短調でありながら柔らかく、攻撃的な悲しみではなく、深い諦念と祈りを感じさせます。絵に例えるなら、雨の日に薄明かりの窓辺でたたずむような情景です。

保育士として知っておくと有益な点があります。この「ラクリモーサ」は、葬儀音楽として使われることも多い一方、現代では映画やCM、テレビドラマのBGMとしても頻繁に使用されています。「この曲知ってる!」と子どもが反応することも珍しくありません。歌詞の意味や背景を知っていれば、子どもへの説明も自信を持って行えます。

「ラクリモーサ(レクイエム)」(Wikipedia)|ラクリモーサの語源・各作曲家による版の違い・使用されている場面などが詳しくまとめられています。

モーツァルト レクイエム「ディエス・イレ」歌詞と怒りの日の正体

「ディエス・イレ(Dies irae)」は「怒りの日」と訳され、レクイエムのなかでも最もインパクトの強い楽曲のひとつです。冒頭から合唱が激しく切り込んでくるような展開は、聴く人に強烈な印象を与えます。ホラー映画や緊迫場面のBGMとして世界中でサンプリングされており、もしかしたらレクイエムの中で最も聞かれている曲かもしれません。

歌詞と意味を確認しましょう。

ラテン語 日本語訳
Dies irae, dies illa 怒りの日、ダビデ王とシビラが証言せしごとく
solvet saeclum in favilla 世界を灰燼に帰す、その日。
teste David cum Sibylla. (ダビデとシビラの預言のとおり)
Quantus tremor est futurus 審判者キリストがすべてを厳しく裁きに来たりたもうとき、
quando judex est venturus 人々はどれほどに恐れおののくことであろう。

「怒りの日」とは、キリスト教の終末論における「最後の審判」の日のことです。ダビデ王(旧約聖書の詩篇)とシビラ(古代の女予言者)が共に予言したとされるこの日、世界は終わりを迎え、すべての死者が復活し、神の前で裁かれるとされています。

ここで一点、興味深い事実があります。「ディエス・イレ」の旋律は13世紀に書かれたグレゴリオ聖歌に由来しており、モーツァルトはそのメロディーを引用・発展させています。つまり、この曲の「核」は実に800年以上前からあるものです。歌詞もその時代から変わっていません。これは使えそうです。

ちなみに「ディエス・イレ」の旋律は、ラフマニノフの「死の島」、ベルリオーズの「幻想交響曲」、リストの「死の舞踏」など、後世の多くの作曲家が引用しています。西洋音楽において「死」「恐怖」「審判」を表す象徴的なメロディーとして機能してきた、いわば「音楽的シンボル」です。

保育の現場ではこのような「怖い」と感じる音楽でも、「どんな場面を想像した?」と子どもに問いかけることで、感情表現・言語化の練習につながります。音の強弱・速さ・音色について話し合うことは、保育指針の「表現」「言葉」領域にも関連する活動です。

モーツァルト レクイエムの歌詞が保育の音楽活動にもたらす独自の視点

「レクイエムは葬送音楽だから子どもに聞かせるのは不適切」という考えが保育の現場にあるとしたら、少し立ち止まって考えてみましょう。歌詞の内容が「死者のための祈り」であることは事実ですが、その音楽的な価値と教育的な活用は別の話です。

まず知っておきたいのが「モーツァルト効果」についての最新の見解です。1990年代にアメリカで発表された研究をきっかけに「モーツァルトを聴かせると頭が良くなる」という説が広まりました。ところがその後の研究では、この効果は「好きな音楽を聴いたときに気分が上がり、一時的に情報処理がスムーズになる」という汎用的な効果に過ぎず、特定の作曲家の音楽だけに起きることではないと明らかになっています。

つまり「モーツァルトだから特別に賢くなる」という効果にはエビデンスがありません。これが原則です。

「モーツァルトは子どもの脳にいいの?」(GymboGlobal)|モーツァルト効果の科学的な根拠と最新見解についてわかりやすく解説されています。

では、レクイエムの歌詞を保育者が学ぶことにどんな意味があるのでしょうか?

答えは「背景知識が子どもへの言葉の豊かさを生む」という点にあります。たとえば、ラクリモーサを子どもたちと一緒に聞く場面で、「この曲は、誰かがもっと安らかでいられるようにお祈りしている音楽なんだよ」と伝えることができます。死という難しいテーマを直接伝えるのではなく、「祈り」「願い」「思いやり」という言葉で音楽を語れるようになるのです。

また、保育の音楽活動においては「感情を音で表現する」力が重要視されています。悲しみ・怖さ・静けさ・荘厳さなど、ふだん子どもが言葉にしにくい感情の幅を音楽が補ってくれます。レクイエムはその意味で「感情語彙を広げる音楽体験」として非常に有効です。

もちろん、乳幼児に対して歌詞の意味を詳細に説明する必要はありません。ただ、保育士自身が歌詞の奥にある「人間の普遍的な祈り」という意味を理解していることで、子どもに対する音楽の語り方が自然と豊かになっていきます。歌詞の知識が保育の質を底上げするということです。

保育士が音楽の背景知識を深めるには、NHKの「クラシック音楽館」やYouTubeの解説動画なども手軽で有用なリソースです。子どもと一緒に「怒りの日」を聴きながら「どんな場面が浮かんだ?」と問いかける活動は、表現活動・語彙力・想像力を同時に刺激します。

モーツァルト レクイエム全曲のその他の歌詞と聴きどころ

「ラクリモーサ」「ディエス・イレ」以外にも、レクイエムには印象的な曲が多く含まれています。それぞれの特徴と歌詞の意味を整理しましょう。

まず「キリエ(Kyrie)」は、「主よ、憐れみたまえ(Kyrie eleison)」という言葉が繰り返される曲で、歌詞はギリシア語です。全曲で唯一ギリシア語が使われるこの曲は、二重フーガという複雑な対位法的技法で書かれており、音楽的な完成度も高い部分です。

次に「トゥーバ・ミルム(Tuba mirum)」です。「奇しきラッパの響き」と訳されるこの曲は、トロンボーンのソロで始まるという珍しい書き方が特徴です。

ラテン語(抜粋) 日本語訳
Tuba mirum spargens sonum per sepulchra regionum 不思議なラッパの音が各地の墓に鳴り響き
coget omnes ante thronum. すべてのものを王座の前に集めん。
Judex ergo cum sedebit, quidquid latet, apparebit 審判者が座につきたもうとき、隠されしことは明るみとなり
Nil inultum remanebit. 報いを受けぬものは、ひとつとしてない。

続く「レックス・トレメンデ(Rex tremendae)」は「恐るべき御稜威の王よ」という荘厳な合唱で、バロック音楽のフランス風序曲のリズムを思わせる付点リズムが特徴的です。

「レコルダーレ(Recordare)」は四重唱による美しい曲です。「思い出したまえ、慈悲深きイエスよ」と懇願する歌詞で、続唱の中でも特に柔らかく明るい雰囲気を持っています。審判の恐怖から、神への信頼へと気持ちが移行する転換点とも言えます。

奉献唱(Offertorium)の「ドミネ・イエス(Domine Jesu)」では、「主イエス・キリストよ、栄光の王よ。全ての世を去った信徒たちの魂を地獄の罰より解き放ちたまえ」と祈ります。最後には「かつてアブラハムとその子孫に約束されしごとく」というフレーズが2度繰り返されます。聖書のアブラハム契約を歌詞に織り込むことで、旧約聖書と新約聖書をつなぐ神学的な意図が感じられます。これだけ覚えておけばOKです。

最後の「コムニオ:ルックス・エテルナ(Communio)」は「永遠の光を彼らに照らしたまえ」という言葉で締めくくられます。ここでは冒頭イントロイトゥスの主題が回帰し、全曲が見事な円環構造を成しています。音楽的には「死から光へ」という旅の完結を示す設計です。

「対訳 レクイエム」(C-Pro海外公演事務局)|モーツァルトのレクイエム全曲の逐語訳と対訳が整理されており、合唱や音楽鑑賞の際の実用的な参考資料です。

保育士として音楽を子どもたちに紹介する際、こうした各曲の「感情の流れ」を知っておくことは非常に有益です。恐怖から懇願、そして安らぎへと変化するレクイエムの流れは、感情の起伏を音楽でたどる体験として、特に5歳以上の子どもへの鑑賞活動に活かすことができます。「聴いてどんな気持ちになった?」という問いかけひとつで、子どもの内側にある豊かな感情言語を引き出すきっかけになります。


ベスト・オブ・ベスト・モーツァルト