故郷を思う歌・昭和の名曲を保育に活かす完全ガイド
昭和の童謡・唱歌のCDを何気なくSNSに投稿すると、損害賠償請求を受けるリスクがあります。
故郷を思う歌・昭和の名曲が生まれた時代背景
昭和という時代は、「故郷を思う歌」が必然的に生まれた時代でした。戦後の復興から高度経済成長へと向かう昭和30〜40年代、日本全国の農村から大都市へと若者が大量に流出しました。中学校を卒業したばかりの10代が「集団就職列車」に乗って東京や大阪に向かうのが当たり前の光景で、昭和35年(1960年)から昭和45年(1970年)の10年間だけで、農村から都市部に移住した人の数は1,000万人を超えたともいわれています。
これは日本の人口が当時約1億人であることを踏まえると、国民の約10人に1人が故郷を離れた計算です。10人のうち1人が同時に「故郷が恋しい」という経験を抱えていた、ということです。
そうした社会的背景の中で、故郷を懐かしむ「望郷ソング」が次々と生まれました。都会の片隅で懸命に働く人々にとって、故郷を思い起こさせる歌は単なるエンターテインメントではなく、心の支えでした。つまり、昭和の「故郷を思う歌」は社会現象そのものだったのです。
代表的な望郷ソングとその時代を整理すると、次のようになります。
| 曲名 | 歌手 | 発表年 | 背景 |
|---|---|---|---|
| みかんの花咲く丘 | 川田正子 | 昭和21年(1946) | 戦後すぐ、母を思う歌として大反響 |
| ふるさとのはなしをしよう | 北原謙二 | 昭和40年(1965) | 高度成長期の望郷ブームを代表する曲 |
| 北国の春 | 千昌夫 | 昭和52年(1977) | 故郷・信州の春を待つ情景を描いた名曲 |
| 津軽海峡冬景色 | 石川さゆり | 昭和52年(1977) | 北へ向かう列車と望郷の哀愁 |
| 長崎は今日も雨だった | 内山田洋とクール・ファイブ | 昭和44年(1969) | ご当地ソングが全国に広がった転換点 |
昭和の「故郷を思う歌」が保育の場でも重要なのは、現在の祖父母世代(60〜80代)がまさにこの時代を生きた世代だからです。保育士として世代間交流の場を作る際、これらの曲は強力なコミュニケーションツールになります。これは使えそうです。
故郷を思う歌・昭和の定番曲と知られざる誕生秘話
昭和の望郷ソングには、知られていない誕生秘話が数多くあります。こうした背景を知っておくと、保育活動でのトークに深みが増し、保護者や祖父母との会話も広がります。
「みかんの花咲く丘」(昭和21年)の誕生は”前日”だった
1946年(昭和21年)のラジオ番組「空の劇場」に向けて作られたこの曲は、歌詞と曲が完成したのが放送前日だったという驚きのエピソードがあります。作詞者の加藤省吾は、当時12歳の童謡歌手・川田正子を取材に来ていたところ急きょ作詞を依頼されました。加藤は自身の出身地・静岡県富士市の景色を思い浮かべながら書き、作曲者の海沼実は伊東へ向かう列車の窓から見える景色を眺めながら即興でメロディーを作ったといわれています。翌日の放送でこの曲が流れると、全国から葉書が殺到するほどの大反響を呼びました。
戦後まもなく発表されたこの曲が、なぜこれほど人々の心を打ったのか。理由のひとつは、歌詞に登場する「お母さん」という言葉にあります。空襲などで母を亡くした子どもが多かった時代に、この一語は聴く人の涙を誘いました。「みかんの花咲く丘」は単なる童謡ではなく、戦後日本の心の復興を支えた曲なのです。
「北国の春」(昭和52年)の”北国”は実は信州だった
千昌夫が歌って大ヒットした「北国の春」ですが、タイトルに「北国」とあっても実際に描かれているのは北海道や東北ではありません。作詞者のいではくが後に「長野県南牧村がある信州の情景を描いた」と語っており、歌詞中には具体的な地名が登場しないため、聴く人それぞれが自分の故郷を重ね合わせられる構造になっています。意外ですね。
この曲はNHK紅白歌合戦にも登場し、中国でも大ヒットするという異例の国際的な広がりを見せました。「故郷を思う気持ち」が国境を越えて共感を呼ぶという証明でもあります。
「ふるさとのはなしをしよう」(昭和40年)はキダ・タローが作曲
北原謙二の代表作であるこの曲は、昭和40年(1965年)のヒット曲で、作曲者は「浪花のモーツァルト」とも呼ばれた関西の大御所・キダ・タローです。「砂山にさわぐ潮風」「かつお舟」など、地方の情景を具体的に描いた歌詞が、都会に出た若者たちの心を強く揺さぶりました。後に山本譲二がカバーするなど、世代を超えて愛された曲です。
参考:「みかんの花咲く丘」の誕生の背景について詳しく解説されています。
参考:昭和ご当地ソングと望郷の背景を詳しく解説しています。
ご当地ソング昭和歌謡、希望と望郷を与えていた代表曲を深堀してみました
故郷を思う歌・昭和の名曲を保育に活かす実践アイデア
昭和の「故郷を思う歌」は保育活動の中でどう使えるのでしょうか? 単に流すだけでは、その価値の半分も活かせていません。
🎨 祖父母参観での世代間交流に活用する
昭和の望郷ソングを最も効果的に活かせる場面のひとつが、祖父母参観や世代間交流イベントです。「北国の春」「みかんの花咲く丘」「ふるさとのはなしをしよう」といった昭和の故郷の歌を流すと、現在60〜80代の祖父母世代が自然と口ずさみ始めます。子どもたちにとっては「おじいちゃん・おばあちゃんと同じ歌を歌っている」という体験そのものが、世代を超えた絆の感覚をはぐくみます。
この活動を行う際は「おじいちゃん・おばあちゃんが昔どんな場所で育ったか話してもらおう」という導入をセットにするのがポイントです。歌が引き金になって祖父母が語りだす「回想法」の効果が得られ、子どもたちはその話を聴きながら「ふるさと」「昔の暮らし」への興味を育てます。これがこの曲群だけが持つ独自の保育価値です。
📖 昭和の故郷ソングから「地図あそび」へつなげる
「津軽海峡冬景色」や「みちのくひとり旅」のように、具体的な地名が入った昭和の故郷ソングは、4〜5歳クラスの「地図あそび」や「日本地図への興味」につなげる教材として使えます。「この歌に出てくる『津軽海峡』ってどこだろう?」と大きな日本地図を広げてみる。すると子どもたちは自然に地図への関心を高め、「ここがおばあちゃんの故郷!」という発見につなぐこともできます。
地図との接点は早ければ早いほど、空間認識能力の発達にプラスの影響があります。昭和の歌謡曲がそのきっかけになることを、多くの保育士はまだ知らないようです。
🎭 歌詞の情景を体で表現する活動
「みかんの花咲く丘」や「北国の春」は、情景描写が豊かな歌詞が特徴です。曲を流しながら「花が咲いてる様子を体で表してみよう」「春風が吹いてきたら体をどう動かす?」と問いかける活動は、音楽と身体表現を融合させた保育として非常に効果的です。とくに5歳クラスでは「春・夏・秋・冬の情景を体で表現する」発表会プログラムの素材にもなります。
歌への理解と親しみを深めることが大切です。表現することを楽しむ経験が、情緒の豊かさにつながります。
故郷を思う歌・昭和の曲を使う際の著作権ルール【保育士必読】
「昭和の古い歌だから著作権はもう切れている」と思っていませんか。これが最も多い誤解です。著作権が消滅するかどうかは「その曲が古いか新しいか」では決まりません。原則として「作詞者・作曲者が亡くなってから70年が経過しているか」が判断基準です。
たとえば「みかんの花咲く丘」の作詞者・加藤省吾は1989年(平成元年)没のため、著作権は2059年まで有効です。「北国の春」の作詞者・いではくは2019年(令和元年)没のため、著作権は2089年まで有効になります。昭和の歌でも作者が比較的長く生きていた場合、著作権は現在も継続しています。これだけは覚えておけばOKです。
では、保育現場での具体的なルールはどうなるでしょうか。著作権法第38条の規定では、「営利を目的としない」「入場料を取らない」「出演者への報酬がない」という3つの条件を満たす場合、日常保育での歌唱演奏は申請不要です。毎朝の朝の会で歌ったり、お散歩の途中で口ずさんだりすることは、この条件を満たしていれば問題ありません。
一方で、注意が必要な場面があります。
- 🎥 発表会・お遊戯会をDVD・CDに録音・録画して保護者に配付する場合:JASRACへの申請と使用料の支払いが必要になります。1園あたり年間数千円〜1万円程度の使用料が発生するケースもあります。
- 📱 保育園のSNS・ホームページに子どもが歌っている動画を投稿する場合:著作権管理団体への申請が必要で、無申請で投稿すると著作権侵害となるリスクがあります。「古い曲だから大丈夫」という判断が損害賠償トラブルにつながった事例があります。
- 📝 楽譜をコピーして保護者やスタッフに配付する場合:著作権が残っている曲の場合、楽譜のコピー配付も著作権侵害になります。
「演奏・歌唱すること」と「録音・録画・配信すること」は別のルールが適用されるのが原則です。この区別が曖昧なまま運用していると、気づかないうちに法的リスクを抱えます。著作権が切れているかどうかはJASRACの「J-WID(作品データベース検索システム)」で確認するのが確実です。検索は無料でできます。
参考:保育・教育現場での音楽著作権ルールについて公式見解が掲載されています。
故郷を思う歌・昭和のメロディーが子どもの情緒教育に与える効果
昭和の「故郷を思う歌」は、子どもたちの情緒教育においても見逃せない効果を持っています。現代の保育ではリズミカルで明るい曲が重視されがちですが、昭和の望郷ソングが持つ「穏やかな哀愁」と「温かな郷愁」は、子どもたちの感情の幅を広げる教材として機能します。
感情の多様性を育てる
昭和の故郷の歌には、喜びや明るさだけでなく、「寂しさ」「懐かしさ」「切なさ」という感情が込められています。「みかんの花咲く丘」で表現される「お母さんへの思慕」や「北国の春」で描かれる「春を待ちわびる気持ち」は、子どもたちが「嬉しい・悲しい」だけでは表現しきれない複雑な感情の存在に気づくきっかけになります。感情の語彙が豊かになることは、共感力や対人関係の基盤となります。
語彙力の自然な底上げ
昭和の望郷ソングの歌詞には、現代の子どもたちがほとんど使わない豊かな日本語が詰まっています。「みかんの花咲く丘」の「はろばろと」、「北国の春」の「こぶし咲く」「からまつ」、「ふるさとのはなしをしよう」の「かつお舟」「砂山」などの語彙は、絵本や日常会話ではなかなか出てこない言葉です。こうした言葉に音楽を通じて自然に触れることで、語彙力が無理なく底上げされます。
実際に、保育者の78%が日常的に童謡・唱歌を歌っているというデータ(ほいくis調査)があり、継続的な音楽体験が子どもたちの言語発達に貢献しているとされています。
「ふるさと」という概念を育てる
5歳前後になると、子どもたちは「自分はどこから来たのか」「家族はどこに住んでいるのか」という自己認識の芽が育ちます。この時期に昭和の故郷の歌を聴かせることで、「ふるさと」「生まれた場所への愛着」という概念を感情とともに体験させることができます。「ふるさとのはなしをしよう」を歌った後に「あなたはどこで生まれたの?」と問いかける活動は、自己紹介の練習とも組み合わせられます。いいことですね。
ただし、ご家庭の事情(転居が多い、外国にルーツがあるなど)によっては「故郷」という概念が馴染みにくい子どももいます。「あなたが好きな場所」「大切に思う場所」という広い問いかけに置き換えることで、すべての子どもが参加しやすい活動になります。この配慮が条件です。
参考:回想法と音楽が高齢者・子どもの情緒に与える効果について、学術的な視点から解説されています。
地域在住高齢者を対象とした健康支援のための回想法に関する研究(日本福祉大学)

わたしの愛唱歌~心懐かしい故郷の歌から友と歌った青春の歌まで

