故郷国語あらすじ
閏土を「友達」と思った時点で誤読です
故郷あらすじ全体の流れ
主人公の「私」は厳しい寒さの中、二千里も離れた場所から二十年ぶりに故郷へ帰ります。帰郷の目的は、代々住んでいた家が他人の手に渡ることになったため、家財を引き払うことでした。ddnavi+3
故郷に近づくにつれ、「私」の記憶の中にあった美しい故郷の姿は色あせていきます。わびしい村の様子を目にし、「ああ、これが二十年来片時も忘れることのなかった故郷であろうか」と寂寥感を覚えるのです。土地だけでなく、住む人の心さえも貧しく荒み果てていました。kyoukasyo+3
母から幼なじみの閏土が訪ねてくる話を聞いた「私」は、少年時代の鮮やかな思い出がよみがえります。
つまり記憶の中の美しい故郷が戻ったのです。
しかし実際に再会した閏土は、「私」を「旦那さま」と呼び、かつての親しい関係は消え失せていました。「私」はこのとき、二人の間に超えられない「悲しむべき厚い壁」があることを知ります。versatilebase+2
その後、筋向かいに住んでいた豆腐屋の楊おばさんが現れます。彼女は「私」が自分のことを覚えていないことに腹を立て、家にある金目のものを何かと理由をつけて取っていこうとしました。楊おばさんは灰の山から碗や皿を十個あまり掘り出し、その犯人が閏土ではないかという疑惑まで生まれます。asikareview+3
引っ越しの日、「私」は閏土の息子・水生と自分の甥・宏児が無邪気に遊ぶ姿を見ます。子どもたちが仲良く遊ぶ様子に、「私」は未来への可能性を感じました。物語は「希望とは、もともと、有りというも無しというもよしがたい。それはちょうど、地上の道のようなものだ」という印象的な言葉で締めくくられます。
故郷の主な登場人物紹介
「私」(主人公)は都会に住む知識人で、二十年ぶりに故郷を訪れる語り手です。かつては裕福な地主の家の子どもでしたが、家が没落し、複雑な思いを抱えています。「私」の視点を通じて、故郷の衰退や住民たちの苦悩が描かれます。zero-based-thinking+2
閏土(ルントウ)は「私」の家の雇い人の息子です。普段は海岸近くに住んでいましたが、「忙月(マンユエ)」と呼ばれる特定期間だけ雇われる召使の子どもでした。少年時代には「私」に海辺での貝殻拾いや西瓜畑での番など、「私」の知らない世界を教えてくれる存在でした。honzukinoaraiguma+2
しかし二十年後の再会では様子が一変します。閏土は「私」を「旦那さま」と呼び、うやうやしい態度で接するようになっていました。彼の顔には「喜びと寂しさの色」が浮かんでいたものの、かつての親しい友情は完全に失われていたのです。
参考)【あらすじ・相関図】「故郷」(魯迅)「悲しむべき厚い壁」を壊…
楊(ヤン)おばさんは「私」が子供の頃、筋向かいで豆腐屋をしていた女性です。
別名「豆腐屋西施」とも呼ばれていました。
「私」が自分のことを覚えていないことに腹を立て、「私」の実家にある金目の物を何かと理由をつけて取っていきます。彼女の行動は、当時の農村の貧困と人々の心の荒廃を象徴しています。imogayu1868+2
宏児(ホンル)は八歳の「私」の甥で、初対面の少年です。水生(スイション)は閏土の息子で、宏児と同じくらいの年齢です。二人が無邪気に遊ぶ姿は、大人たちの間にある「壁」を超える可能性を示唆しています。bungakublog+2
故郷の時代背景と社会問題
「故郷」が発表されたのは1921年、第一次世界大戦後のことでした。作品の舞台となるのは、清朝の専制君主が廃止されたものの、未だ旧態依然の身分制度が残る中国の農村です。naginagi8874.hatenablog+1
魯迅は中国の貧困や、現状を甘んじて受け入れる民衆の無知を描き、当時の人々に国民性の改革を訴え続けてきた作家でした。物語で描かれる故郷の変化は、急速に進行する都市化や経済的変革の影響を受けたものです。しかしそこに住む人々はその変化に適応できず、貧困や疎外感に悩まされていました。ddnavi+1
作品の中心的なテーマは「階級の壁」です。閏土が「私」を「旦那さま」と呼ぶ場面は、出身階層の違いによる超えられない壁を象徴しています。「私」はそれなりに裕福な家庭の「坊ちゃん」であり、閏土は召使の子どもという明確な身分差がありました。versatilebase+2
この身分差は子供の頃には意識されていませんでした。二人は分け隔てなく遊び、「私」は閏土が語る海辺の生活に魅了されていたのです。しかし大人になると、社会が作り出した階級制度という「見えない壁」が二人の関係を引き裂きます。aonami-lab+1
魯迅はこのような状況を通じて、都市と農村の対立、そして封建的な身分制度の問題を浮き彫りにしました。物語は単なる個人的な再会の物語ではなく、当時の中国社会が抱える構造的な問題を描いた社会批判の作品なのです。
これが作品の核心ですね。
故郷の構成と描写の特徴
「故郷」は反復構成で書かれています。物語は「故郷への帰還」から始まり、「故郷からの出発」で終わります。この対称的な構成により、変化と循環というテーマが強調されているのです。
作品の展開は大きく5つの場面に分けられます。①「わたしの故郷」(帰郷の場面)、②「思い出の回想」(少年時代の閏土との思い出)、③「ヤンおばさん」(豆腐屋の女性との再会)、④「ルントウとの再会」(現在の閏土との対面)、⑤「離郷」(故郷を去る場面)という流れです。
参考)http://www2.wind.ne.jp/asnec/menu/kokugo1.htm
魯迅は対比の技法を効果的に使っています。過去と現在、記憶と現実、美しい故郷とわびしい故郷、子供時代の無邪気さと大人の窮屈さなど、様々な対比が物語全体に織り込まれています。この対比により、時代の変化や人間関係の変容がより鮮明に描き出されているわけです。kyoukasyo+2
情景描写も重要な要素です。帰郷した「私」が語る故郷の様子は、「さびれた故郷」として描かれます。一方、少年時代の回想場面では、海辺の美しい自然や西瓜畑を守るエピソードなど、生き生きとした情景が描かれます。kyoiku-kensyu.metro.tokyo+2
人物描写では、特に閏土の変化が印象的です。少年時代の閏土は「快活で自然とともに生きる象徴的な存在」として描かれます。しかし再会時の閏土は、「喜びと寂しさの色」を顔に浮かべながらも、「うやうやしい態度」に変わっていました。この劇的な変化が、時代と社会が人間に与える影響を如実に示しています。wind+2
物語を深く理解するには、構成・対比・情景・人物・時代背景をしっかり読み取る必要があります。これらの要素を関連させて考えることで、主題もよりとらえやすくなるのです。
故郷が伝える希望のメッセージ
物語の最後で「私」は、閏土の息子・水生と甥の宏児が無邪気に遊ぶ姿を見て、未来への希望を感じます。二人の子どもたちは、大人たちの間にある「壁」を意識することなく、分け隔てなく遊んでいました。aonami-lab+2
「私」はこの光景を見て、「彼らはもう仲よしになっていた。宏児が水生のところへ遊びに行くと言うので、私はそれを許し、また彼らのために幸いを祈った。
彼らは新しい生活を持ちたいと思うだろう。
私たちが経験したことのない新しい生活を」と考えます。
参考)「故郷(魯迅)」伝えたいこと・人物相関図・あらすじと内容を解…
物語は「希望とは、もともと、有りというも無しというもよしがたい。
それはちょうど、地上の道のようなものだ。
もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という印象的な言葉で締めくくられます。
参考)魯迅『故郷』解説|希望とは本来道のようなものだ|あらすじ感想…
この言葉の意味は何でしょうか。希望は最初から存在するものではなく、人々が行動することで初めて生まれるということです。
つまり希望は実現させるものだということですね。
道が歩く人によって作られるように、希望も追い求める人々の行動によって現実になるのです。
魯迅はこの作品を通じて、封建的な身分制度や貧困に苦しむ当時の中国社会を批判しました。しかし同時に、次の世代への期待も込めています。子どもたちが新しい生活を築くことで、大人たちが経験した「壁」を乗り越えられる可能性を示唆しているのです。ddnavi+3
魯迅の作品背景と社会改革への思いについて詳しく知りたい方はこちらの記事が参考になります
保育士として子どもたちに接する際、この「希望」のメッセージは重要な意味を持ちます。子どもたちには身分や階級といった大人が作り出した「壁」を超える力があります。無邪気に遊ぶ姿は、社会の偏見や差別を乗り越える可能性を秘めているのです。
「故郷」の人物相関図や作品分析の詳細はこちらの教材解説サイトで確認できます
この作品が現代においても読み継がれているのは、時代を超えて響くテーマがあるからです。格差、偏見、人間関係の変容といった問題は、形を変えながらも現代社会にも存在します。しかし同時に、次の世代への希望というメッセージも普遍的な価値を持っているのです。
大切なことは行動することですね。


