受難曲の意味とバッハが生んだ音楽世界を徹底解説
バッハの「マタイ受難曲」は、初演から約100年間ほぼ誰にも演奏されなかった”幻の名曲”です。
受難曲の意味と「受難」という言葉の語源
「受難曲」という言葉を初めて目にすると、少し難しそうに感じるかもしれません。まずは言葉の意味から整理してみましょう。
「受難(じゅなん)」とは、新約聖書に記されたイエス・キリストが裁判を受け、十字架に架けられて死に至るまでの苦しみと試練の一切を指す神学用語です。英語では「Passion(パッション)」と表記され、これはラテン語の「passio(苦しむ)」に由来します。日本語で「情熱」を意味する「パッション」と同じ語源を持つ点は、意外に感じる人も多いはずです。
受難曲(じゅなんきょく)とは、この受難の物語——具体的には新約聖書の4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)に記された記事——を題材に作曲された声楽曲の総称です。つまり「キリストが十字架にかけられるまでの物語を音楽で語った作品」と理解すればOKです。
受難曲には、イエスを逮捕したユダ・弟子たちを代表するペテロ・ローマ総督ピラトといった登場人物が登場し、物語が進行します。これは聖書の朗読が役割分担される形で歌われるという、演劇的な要素も兼ね備えた音楽ジャンルです。
ドイツ語では「Passion(パッション)」と呼ばれ、英語も同じ。つまり受難曲の意味が分かると、西洋音楽の重要な用語をひとつ押さえたことになります。
コトバンク「受難曲」の項目——辞書・百科事典レベルで受難曲の定義を確認できます
受難曲の歴史——中世の朗唱からバッハの大傑作まで
受難曲の歴史は非常に古く、その起源は中世ヨーロッパの典礼にまでさかのぼります。歴史の流れを整理することで、なぜこのジャンルが生まれ、発展したかがよく分かります。
もともとキリスト教の礼拝では、聖書の朗読が重要な位置を占めていました。5世紀頃には棕櫚(しゅろ)の主日(イエスがエルサレムに入城した日曜日)にはマタイ福音書、聖金曜日(イエスが十字架に架けられた金曜日)にはヨハネ福音書の受難記事を読む習慣が定められ、これが20世紀まで続きました。歴史が深いということですね。
10世紀以降になると、朗読に音程がつけられ、「歌われる聖書」としての形式が整ってきます。さらに13〜14世紀には、福音史家(物語を語る語り手)・イエス・群衆(トゥルバ)という役割分担が生まれ、複数の歌い手が声を分担するようになりました。これは現代の合唱劇に通じる形式です。
15〜16世紀のルネサンス期には、対位法(複数のメロディーを絡み合わせる技法)が導入され、多声音楽としての受難曲が花開きます。宗教改革者マルティン・ルター(1483〜1546年)が受難を特に重視する「十字架の神学」を打ち立てたことで、ルター派のプロテスタント地域では受難曲の作曲が一層盛んになりました。ルター派が音楽の宝庫となる原点がここにあります。
17世紀に入ると、器楽(オーケストラ)や独唱アリア、信徒の讃美歌であるコラールを組み込んだ「オラトリオ受難曲」という大規模な形式が登場します。そして18世紀、この流れの頂点に立つのがヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750年)の《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》です。
バッハハウス「受難曲 歴史概説」——受難曲の発生から発展まで詳細に解説された専門ページです
受難曲の種類——マタイ・ヨハネ・マルコ・ルカの違い
受難曲は、どの福音書を題材に使ったかによって名称が変わります。この点を整理しておくと、受難曲に関する会話や鑑賞が一気にスムーズになります。
福音書は新約聖書の最初に収められた4つの書——マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ——で構成されています。それぞれの福音書が伝えるイエスの受難記事の範囲は以下の通りです。
| 受難曲の名称 | 底本となる福音書の章 | 代表的な作曲家・作品 |
|---|---|---|
| 🎵 マタイ受難曲 | マタイ福音書 第26〜27章 | バッハ(1727年初演) |
| 🎵 ヨハネ受難曲 | ヨハネ福音書 第18〜19章 | バッハ(1724年初演) |
| 🎵 マルコ受難曲 | マルコ福音書 第14〜15章 | ラッスス、カイザーほか |
| 🎵 ルカ受難曲 | ルカ福音書 第22〜23章 | シュッツ(1664年頃)ほか |
4つの中で特に作品数が多いのはマタイとヨハネです。受難週(聖週間)における典礼上の重要度が高かったためで、マルコとルカはそれに比べると作品数が少なくなっています。
バッハの場合、《マタイ受難曲》は全68曲・演奏時間約3時間という大作です。《ヨハネ受難曲》は全40曲・約2時間弱で、こちらは比較的コンパクトな構成です。2時間弱のヨハネを”短い”と感じるのは、マタイが桁外れに長いためです。それぞれの受難曲の違いが原則です。
また、複数の福音書の記述を一つにまとめた「調和受難曲(総合受難曲)」という形式も存在します。バッハの《ヨハネ受難曲》には一部マタイ福音書の記述が引用されており、こうした例も少なくありません。
Wikipedia「受難曲」——主な受難曲の一覧と作曲家・成立年が詳細にまとめられています
バッハの受難曲の構成——コラール・アリア・レチタティーヴォとは
バッハの受難曲、特に《マタイ受難曲》を理解するうえで、3つの重要な音楽形式を知っておくと聴き方が格段に変わります。
まず、レチタティーヴォ(Recitativo)です。これは話し言葉の自然なリズムやアクセントを模した歌唱スタイルで、聖書の本文(受難記事)がこの形式で歌われます。福音書の語り手(エヴァンゲリスト)やイエス本人の言葉はレチタティーヴォで表現され、物語の進行役を担います。「語りを歌っているようなもの」というイメージで覚えるのが基本です。
次に、アリア(Aria)です。アリアは自由な詩に曲をつけた独唱曲で、登場人物の心情や感想、神学的な省察が表現されます。バッハの《マタイ》には、アルト独唱による第38番「憐れみ給え、わが神よ(Erbarme dich)」など、今も単独で演奏される名曲が含まれています。レチタティーヴォが「物語」なら、アリアは「詩」と考えるといいでしょう。
最後に、コラール(Choral)です。コラールはルター派の信者が礼拝で歌う讃美歌のメロディーを使った4声合唱曲です。受難の物語の合間に挿入され、聴衆が当時の信徒の立場から祈りを捧げるような効果を生みます。バッハの《マタイ》には「受難コラール」と呼ばれる中心的な讃美歌が5回登場し、曲全体に統一感を与えています。これは使えそうです。
《マタイ受難曲》では、さらに二重合唱(2つの合唱隊と2つのオーケストラ)という画期的な編成が採用されています。左右から呼びかけ合うように音楽が展開し、ステレオサウンドを先取りするような立体感が生まれるのです。これも大きな特徴です。
OEKfan「曲目解説:バッハ マタイ受難曲」——コラール・アリア・レチタティーヴォの役割が具体的な曲番とともに解説されています
受難曲が保育士の音楽教養に役立つ意外な理由
受難曲はキリスト教の宗教音楽であり、保育の現場では直接使う機会は少ないかもしれません。しかし、この音楽ジャンルへの理解は、音楽の幅広い教養として、そして子どもへの音楽表現指導に意外なほど役立ちます。
まず、受難曲を含むバッハのクラシック音楽は、幼児の脳発達や情操教育との関連が長年注目されてきた分野です。実際、保育・幼児教育の現場でクラシック音楽を活用する研究は多く、大阪教育大学の研究(2011年以降)でも、幼稚園への生演奏による取り組みで子どもの音楽への関与が高まることが報告されています。クラシック音楽の背景知識を持つことは、保育士としての音楽指導力を底上げします。
次に、受難曲の物語構造——語り手がいて登場人物がいて、群衆の声があり、感情を吐露するアリアがある——は、子どもに向けた紙芝居や読み聞かせの「語りの構造」と非常に近いものを持っています。物語を音楽で語るという発想は、保育における表現活動のヒントになります。これは保育士として押さえておきたい視点です。
さらに、コラールという「みんなで歌う讃美歌」の形式は、子どもたちが輪になって歌う集会の歌とも通じます。受難曲のなかで繰り返し登場するコラールは、聴衆が心を一つにする効果を持ちます。音楽で場の一体感をつくるという技法は、保育士にとっても日々の活動に応用できる知識です。
バッハの音楽をBGMとして保育室で流す際にも、どのような背景を持つ音楽かを知ったうえで選ぶことで、自信を持って音楽環境を整えることができます。保護者から「この曲は何ですか?」と聞かれても、しっかり答えられます。知っていると得する情報です。
大阪教育大学「子どもの心に音楽を届けるための取り組みについて」——幼稚園へのクラシック生演奏の教育効果を詳述した学術論文(PDF)です
受難曲の名作「マタイ受難曲」が100年間忘れられた驚きの事実
バッハの《マタイ受難曲》は、現在では「音楽史上最大の傑作のひとつ」として世界中で上演されている作品です。しかし、この曲には誰も知らない”空白の100年”があります。
バッハは1727年4月11日(聖金曜日)に、ライプツィヒの聖トーマス教会で《マタイ受難曲》を初演しました。その後1729年・1736年と改訂・再演されましたが、1750年にバッハが亡くなると、この大作は急速に忘れ去られていきました。バッハの死後、当時流行の音楽は古典派へと移っていったためです。
復活のきっかけをつくったのは、まだ20歳だったフェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847年)です。1829年3月11日、ベルリンのジングアカデミーで、初演から約100年ぶりに《マタイ受難曲》が蘇演されました。この歴史的な演奏は大成功を収め、バッハ再評価の大きな潮流を生み出しました。この事実、意外ですね。
つまり、現在「クラシック音楽の父」と称えられるバッハの最高傑作は、100年近く人々の記憶から消えていたのです。20歳の若者が一念発起して復活させなければ、今日のバッハ人気はなかったかもしれません。音楽の歴史とは、こんなにも劇的なものです。
この逸話は、音楽の価値は時代に左右されるという大切な教訓を示しています。保育の現場で「音楽の力」を子どもたちに伝えるとき、こうした背景を知っていると、より深みのある話ができます。受難曲の意味を知ることは、音楽の歴史を知ることにもつながります。


