会津磐梯山の民謡と歌詞の意味を保育士として深く知ろう
「会津磐梯山は宝の山よ」の出だしは実は21番目の歌詞で、本当の最初の歌詞を子どもたちに教えると大半の保育士の指導が根底から変わります。
会津磐梯山の民謡の歌詞と基本情報:まず正確に知っておきたいこと
保育の現場で民謡を扱うとき、まず歌詞の全体像を正確に押さえておくことが大切です。「会津磐梯山」は福島県会津地方に伝わる民謡で、郡上おどり・阿波おどりとともに日本三大民踊のひとつに数えられています。これだけで子どもたちへの紹介の言葉に重みが増しますね。
現在もっとも広く知られている歌詞は以下のものです。
| 歌詞の部分 | 内容 |
|---|---|
| 出だし(本節) | エイヤー 会津磐梯山は 宝の山よ/笹に黄金が エーマタ なりさがる |
| お囃子 | スッチョイ スッチョイ スッチョイナ(または チョイサー チョイサ) |
| おはら庄助さん(囃し) | おはら庄助さん 何で身上(しんしょう)つぶした/朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした/ハァ もっともだ もっともだ |
この「おはら庄助さん」の囃しは、昭和9年(1934年)に小唄勝太郎がレコードとして発売する際に付け加えられたものです。つまり元々の歌にはなかった部分。実は後から挿入された歌詞だということです。
会津磐梯山の元となったのは、会津若松市七日町の阿弥陀寺で唄われていた「玄如節(げんしょうぶし)」とされています。飴売りの玄如という人物が唄いながら江戸まで売り歩いたという伝説も残っており、民謡の源流に人々の生活が息づいていることがわかります。そのルーツをさらにさかのぼると、新潟県西蒲原郡巻町の「五ケ浜甚句」にたどりつくとも言われています。
参考:会津磐梯山の起源・歌詞構成・歴史的背景について詳しく解説されています。
会津磐梯山の歌詞「宝の山」と「笹に黄金」の本当の意味
子どもたちに「宝の山って何?」と聞かれたとき、「金がたくさんある山」と答えていませんか。実は、「笹に黄金がなりさがる」には複数の説があり、その背景を知ると保育での語りかけがぐっと豊かになります。
まず磐梯山周辺で金(きん)が大量に採掘されたという歴史的事実は確認されていません。「笹に黄金」の「黄金」が本物の金ではないとすれば、いったい何を指すのでしょうか?
有力な説のひとつが「熊笹の実」説です。笹は数十年から百数十年に一度だけ一斉開花し、黄金色に輝く実をつけます。天明の飢饉(1782〜1788年)のとき、この笹の実が磐梯山周辺に豊かに実り、人々はそれをすり潰して粉にして食べ、飢えをしのいだと伝えられています。つまり「笹に黄金がなりさがる」は、飢えた人々にとっての命がけの恵みを表現した言葉なのです。これは大きな意味を持つ歌詞ですね。
もうひとつは「桧原金山(ひばらかねやま)」説です。磐梯高原・桧原湖の北岸には江戸時代に「桧原千軒」とも称された金鉱山町が栄えていました。金・銀・銅・鉛を採掘していたこの鉱山は、明治21年(1888年)の磐梯山大噴火によって廃鉱となってしまいます。噴火以前、この地が文字通りの「宝の山」であったことは事実であり、「笹(朱砂=水銀と硫黄の化合物)に黄金がなりさがる」という表現に転じたという説もあります。
どちらの説を子どもに伝えるかはともかく、「宝の山」という言葉には会津の人々の歴史と暮らしへの思いが詰まっています。歌詞の一言一言に意味があると伝えるだけで、子どもたちの聴き方が変わります。
参考:「笹に黄金がなりさがる」の意味について複数の説を丁寧に解説しています。
会津磐梯山は、なぜ「宝の山」なのか!? – ニッポン旅マガジン
会津磐梯山の歌詞は162番まである:小原庄助と白虎隊も登場する全体像
保育士の多くは「会津磐梯山の歌詞は3〜4番」と思っているかもしれません。意外ですね。正調会津磐梯山の歌詞は実に162番まで存在します。
さらに驚くのは、現在最もよく知られている「会津磐梯山は宝の山よ」の歌詞が、正調版の21番目にあたるという事実です。つまり私たちが「会津磐梯山の出だし」として知っている部分は、本来は21曲目から始まる歌詞だということです。
歌詞には会津地方の地名が次々と登場します。
- 🏔️ 磐梯山(標高1,816m・会津富士とも呼ばれる活火山)
- 🌊 猪苗代湖(「北は磐梯、南は湖水」と詠まれる日本第4位の湖)
- ♨️ 東山温泉(会津若松市郊外の歴史ある温泉地)
- 🏯 鶴ヶ城(会津の象徴・若松城とも呼ばれる名城)
- ⚔️ 飯盛山・白虎隊(戊辰戦争で散った会津藩の若武者たちを哀悼する歌詞で締めくくられる)
歌の最後が白虎隊(会津藩の少年兵・16〜17歳が主体)への哀悼で締めくくられるのは、この民謡が単なる踊りの歌ではなく、会津の人々の誇りと哀しみを1本の糸で紡いだ文化的な記録であることを示しています。これは保育士が子どもに「ふるさとの歌には物語がある」と伝える絶好の機会になります。
また、「おはら庄助さん」のモデルについては諸説あります。白河市の皇徳寺(こうとくじ)に墓がある会津塗師・久五郎が有力な候補とされており、白河駅から徒歩約4分という場所にその墓が現存しています。大酒飲みで知られた久五郎が、後に民謡の囃し詞として全国に名を残すとは、当の本人も驚いているかもしれません。「身上をつぶした」という言葉は、財産を使い果たして破産したという意味です。
会津磐梯山の囃子詞「スッチョイ」に隠された意味:保育活動で使えるポイント
「スッチョイ スッチョイ スッチョイナ」という囃子詞(はやしことば)を子どもたちに教えると、それだけで盛り上がります。ただ「意味のない掛け声」として教えてしまうのはもったいないです。
「スッチョイ」という言葉の語源については、会津地方の言葉で「いざ進め!」を意味するという説があります。また一説には、ヘブライ語で「喜び勇んで進め!」を意味する言葉に由来するという興味深い見方もあります。どちらであれ、「元気いっぱいに前へ進もう!」という前向きな掛け声であることは共通しています。
元の踊りは「かんしょ踊り(気狂踊り)」と呼ばれていました。「かんしょ」とは会津の方言で「熱狂的に」という意味で、人々が夜を徹して踊り続けるほど情熱的な踊りだったことを示しています。会津の夏祭りや盆踊りで、この民謡とともに踊られてきた歴史があります。
保育の場面では、このお囃子を活用した身体遊びが効果的です。
民謡のリズムは、現代の童謡とは異なる「間(ま)」のとり方が特徴です。保育士自身がその「間」を体で感じてから子どもに伝えると、自然な動きが引き出されやすくなります。おすすめは基本が一つで終わる方法で、まず「スッチョイ」の手拍子だけを練習してみることです。リズムが体に入れば、あとは自然につながっていきます。
参考:郷土民謡を音楽教育に活かす視点について解説されています。
保育士が会津磐梯山の民謡を保育活動に活かす:夏祭り・盆踊りでの実践ポイント
会津磐梯山を保育の場で使うシーンとして最も多いのは、夏祭りや盆踊りです。ただ「踊れる曲」として流すだけでは、文化継承という意味でのチャンスを逃してしまいます。
まず準備として押さえておきたいのが、子ども向けの歌詞の絞り方です。162番すべてを教える必要はありません。以下の3つの歌詞をセットにするだけで、会津の自然・歴史・人物という3つの要素を1曲の中で感じさせることができます。
| 場面 | 歌詞の内容 | 子どもへの伝え方のヒント |
|---|---|---|
| 自然 | 会津磐梯山は宝の山よ/笹に黄金がなりさがる | 「山にすごい宝があるんだって、何だと思う?」と問いかける |
| 人物 | おはら庄助さん 何で身上つぶした | 「朝寝・朝酒・朝湯が好きすぎた人のお話」と紹介する |
| お囃子 | スッチョイ スッチョイ スッチョイナ | 「元気いっぱいに前へ進もう!という掛け声」と説明する |
保育現場で日本三大民踊のひとつを体験できるというのは、子どもたちの文化体験として非常に価値があります。とはいえ、難しい振り付けをすべて覚えさせようとするのはNG。これが大切な原則です。
足踏みとお囃子の手拍子だけでも立派な「踊り」になります。子どもたちが「楽しかった、またやりたい」と感じることが、民謡文化を次世代に届けるための最初の一歩です。夏祭りの準備段階で、クラスで1回だけでもこの歌を聴かせて「どんな歌だと思う?」と問いかけるだけで、当日の踊りへの関心が大きく高まります。
また、福島県出身の子どもや保護者がクラスにいる場合、その方に「地元の歌」として紹介してもらうことで、コミュニティへの誇りや親しみにつながる活動に発展させることもできます。保護者参加型の行事と組み合わせると、地域や世代を超えた交流の機会にもなりますね。
参考:子ども向けに会津磐梯山を実際に歌っている動画。保育活動の事前学習に活用できます。
【一緒に歌えるシリーズ】「会津磐梯山」福島県民謡 – YouTube

◎EPレコード 民謡ゴールデンシリーズ 福島県 会津磐梯山 相馬草刈唄

