あめふり 歌詞 意味 童謡 北原白秋 中山晋平

あめふり 歌詞 意味

あめふりを3分で理解

場面は「おむかえ」の帰り道

雨の日に「かあさん」が迎えに来て、子どもがうれしく帰る途中、ずぶぬれの「あのこ」を見つけます。

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キーワードは「じゃのめ」「かねがなる」「やなぎ」

蛇の目傘の文化、鐘の音の解釈、柳のイメージが、歌詞の情景と感情を立体的にします。

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核は「やさしさ」と「想像」

傘を貸す行為は思いやりの象徴で、結末を言い切らない構造が子どもの想像力を育てます。

あめふり 歌詞 意味:北原白秋 中山晋平 童謡

 

童謡「あめふり」は、北原白秋が作詞し、中山晋平が作曲した作品として知られ、初出は1925年(大正14年)に児童雑誌『コドモノクニ』で発表されたとされています。

この歌は、雨そのものを憂うのではなく、「かあさんが おむかえ」に来てくれるうれしさから始まる点が特徴で、冒頭の反復「雨雨 ふれふれ」がすでに“歓迎する雨”のトーンを作ります。

「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」という擬音とリズム語は、情景説明というより、足取り・気分の軽さを直接聞き手の体に入れる装置です。歌詞を理解させようとするとき、まず“意味”より“音の表情”に注目すると、子どもの受け取り方と一致しやすくなります。

また、歌の筋は単純で、「迎えが来た→一緒に帰る→ずぶぬれの子を見つける→傘を貸す→母の傘に入って帰る」という流れですが、3番以降で別の子「あのこ」が登場して空気が少し変わります。ここに、この童謡が長く歌われる理由があります(明るさの中に、言葉にし切らない感情が差し込まれる)。

参考:歌詞の全体確認(1〜5番)

歌ネット:あめふり(歌詞)

あめふり 歌詞 意味:じゃのめ おむかえ うれしいな

歌詞の「じゃのめ」は、一般に蛇の目傘(じゃのめがさ)を指し、開いたときに円形の模様が“蛇の目”のように見える和傘のことだと説明されています。

現代の感覚だと傘は日用品ですが、当時の生活を想像すると、子どもが「じゃのめで おむかえ」に強い特別感を抱くのは自然です。雨のなかで母親が傘を差して迎えに来ることは、“守られている実感”そのもので、だから主人公は雨でも「うれしいな」と言えるわけです。

さらに面白いのは、「じゃのめ」が単なる小道具ではなく、視覚記号として働いている点です。遠くからでも丸い輪の模様が目に入りやすく、子どもが「かあさんだ」と気づく“目印”になり得ます。保育園の現場でも、子どもは言葉より「形」や「色」で安心することが多いので、ここを押さえると歌が生活とつながります。

豆知識として、蛇の目傘は江戸時代から作られてきた和傘の代表格で、歴史的には竹と和紙と油で防水する構造が基本です。歌詞の世界を“雨音+和紙の匂い”まで想像すると、童謡が急に立体化します。

参考:蛇の目傘の説明(「じゃのめ=蛇の目傘」や模様の成り立ち)

Precious.jp:「じゃのめ傘」ってどんな傘?

あめふり 歌詞 意味:かねがなる かばんを かけましょ

2番の「かけましょ かばんを かあさんの」は、帰宅の準備をする所作がそのまま歌詞になっていて、子どもの生活動線(持ち物を整える→大人の後ろを歩く)を自然に描きます。ここは保育園で歌うとき、実際の動作(カバンを肩にかける真似)を入れるだけで、理解が一気に進みます。

続く「あとから ゆこゆこ かねがなる」が難所です。解釈としては、寺の鐘、学校や町の合図の鐘など複数の可能性があり、決め打ちしない読みが成立します。重要なのは、鐘の音が“時間の切り替わり”を知らせる効果音になっていることです。迎えの瞬間から帰り道へ、そして次の出来事(あのこの登場)へ、場面をつなぐ音の橋として「かねがなる」が置かれている、と捉えると腑に落ちます。

意外なポイントは、ここが「雨」だけの歌ではなく、「音」の歌でもあることです。雨の擬音(ピッチ・チャップ)に加え、鐘の音まで入ることで、聞き手は目を閉じても場面を再生できます。音の層が厚い歌は、集団保育のような“全員で同じ場面を共有する”活動に向きます。

保育の視点でいえば、この2番は「安心の帰路」を表します。安心があるからこそ、次の3番で“困っている子”に気づける余地が生まれる、と物語の順序にも意味が出てきます。

あめふり 歌詞 意味:ずぶぬれ あのこ やなぎ ねかた

3番で突然出てくるのが「あらあら あのこは ずぶぬれだ」「やなぎの ねかたで ないている」という場面です。ここは、明るいリズムのままなのに、映像としては切実で、歌全体の温度が一段下がります。この“ずれ”が、歌詞をただのかわいい雨歌で終わらせない仕掛けです。

「ねかた(根方)」は根元という意味で、子どもが身を寄せる場所として具体性があります。柳の木は枝が垂れ、雨の日は特に“泣いているように見える”ため、泣いている子の心情と景色が重なる表現として働きます。柳という選択が偶然ではない、と感じる読者が多いのはここでしょう。

ここで大事なのは、「あのこ」が誰かを断定しないほうが、保育の題材として強くなる点です。迷子かもしれない、家が遠いのかもしれない、傘が壊れたのかもしれない、迎えが来ないのかもしれない。どれも歌詞に矛盾せず、子どもたちの生活経験に応じて想像が分岐します。

また、歌詞は「あのこ」を助けた後の“その後”を描きません。雨の日の困りごとは、助けてもらった瞬間にすべて解決するとは限らない。その現実味がほんの少し入っているから、優しさがきれいごとに見えにくいのです。保育園の歌としては、歌い終わった後に「もし泣いている子がいたらどうする?」と対話へ自然につなげられる、非常に扱いやすい構造です。

あめふり 歌詞 意味:保育園 童謡 うたあそび(独自視点)

ここからは検索上位の“歌詞考察”から少し離れ、保育園での実装に寄せた独自視点です。「あめふり」は、意味を説明して終わるより、“行動のモデル”として体に落とすと強い歌になります。なぜなら、歌のクライマックスは感情ではなく「かしましょか(貸していい?)」という許可取りと、「さしたまえ(使って)」という譲り渡しの行為にあるからです。

実践例として、うたあそびを次のように設計すると、歌詞の意味が自然に定着します。

・☔「じゃのめ」役(先生が傘の輪を腕で作る、または丸い輪のカードを提示)

・🎒「かばん」役(肩にかけるジェスチャーを全員で合わせる)

・🔔「かねがなる」役(鈴やカウベルで1回だけ鳴らし、場面転換の合図にする)

・😭「あのこ」役(困っているサイン=小さく手を挙げる、など安全な演出にする)

この構成にすると、子どもたちは“雨の日に起きること”を疑似体験しながら、他児への気づきや声かけの練習ができます。

さらに、歌詞の言い回し「きみきみ このかさ さしたまえ」は、現代の口語では硬いので、歌うときは歌詞を尊重しつつ、活動の声かけでは「どうぞ」「いっしょに入ろう」に翻訳すると良いです。歌詞を変えずに、生活言語へ橋渡しする設計が、園の実務では事故が少なく、保護者にも説明が通りやすいです。

最後に、保育者向けの“意外な深掘り”として、結末の「ぼくなら いいんだ」は自己犠牲の美談にも読めますが、別の読みもできます。母の大きな傘に入るのは、単に我慢ではなく「母と一緒に帰れる嬉しさ」の最大化でもある。つまりこの歌は、優しさ=損ではなく、優しさ=関係が豊かになる、という価値観を明るいリズムで提示しています。雨の日の歌なのに、心が晴れる理由はここにあります。


コッコさんとあめふり (幼児絵本シリーズ)