シクラメンの歌の歌手・布施明と小椋佳の深い関係とは
実は「シクラメンのかほり」は、布施明自身が「売れるわけない」と思ってリリースした曲です。
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シクラメンの歌の歌手・布施明はどんな人物か
布施明(ふせ あきら)は、1947年12月18日生まれ、東京都三鷹市出身の歌手・俳優です。1965年に「君に涙とほほえみを」でレコードデビューし、伸びやかな声量とカンツォーネをベースにした確かな歌唱力で、昭和のポップス界をリードしてきた存在です。
デビューから「シクラメンのかほり」までの約10年間、布施明は演歌系・歌謡ポップス系の楽曲を中心に活躍していました。甘い十字架や愛は不死鳥など、どちらかというと情熱的で歌い上げる楽曲が多かった。それが突然、しっとりとしたフォーク調の「シクラメンのかほり」を歌ったのですから、当時のファンには大きな驚きがあったのです。
「布施明、こんな曲歌うんだ」という意外性がかえって新鮮で、聴き手の心をつかんだとも言われています。布施さんのもつ哀愁のある声質と、歌詞の繊細な世界観が絶妙にマッチしたのが、この曲が長く愛される理由のひとつです。
「シクラメンのかほり」は布施明にとって唯一のミリオンセラーとなり、オリコン週間チャートで1位を獲得。その後も1990年・2000年の紅白歌合戦で歌唱されるなど、半世紀を超えた現在も人々の記憶に刻まれています。
布施明の経歴や楽曲については公式サイトで確認できます。
シクラメンの歌の作詞作曲家・小椋佳は東大卒の現役銀行員だった
「シクラメンのかほり」の作詞・作曲を手がけたのは、小椋佳(おぐら けい)です。この名前を聞いても、布施明ほど顔がすぐに浮かばない方も多いかもしれません。それもそのはず、小椋佳は当時「謎のシンガー」と呼ばれ、顔出しを一切しないスタイルで活動していたからです。
小椋佳は1944年生まれ、東京都上野出身。東京大学法学部を卒業した後、1967年に日本勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。銀行マンとして証券部の証券企画次長、浜松支店長、本店財務サービス部長などを歴任しながら、同時に音楽活動を続けるという二足のわらじの生活を送っていました。これは驚きの事実ですね。
1971年に銀行員のまま歌手デビューを果たし、その後もアルバムを重ねながら、顔や素性を伏せた「謎のシンガー」として人気を集めていきました。3枚目のアルバム『彷徨』は黒盤LPの総生産枚数で歴代2位を記録するほどの大ヒットを飛ばしています(1位は井上陽水の『氷の世界』)。
つまり小椋佳が原則です。「シクラメンのかほり」のヒット当時、彼はアメリカ・メリルリンチ証券への銀行派遣中で、海外にいました。日本で自分の書いた曲が大ヒットしているとの知らせを受け、本人も驚いたと後に語っています。小椋佳はその後1993年、約26年間在籍した銀行をついに退職し、音楽活動に専念することになります。
小椋佳の詳細なバイオグラフィーはこちらで確認できます。
小椋佳 BIOGRAPHY – UNIVERSAL MUSIC JAPAN
シクラメンの歌の誕生秘話・B面のカップリング曲だったという驚きの事実
「シクラメンのかほり」には、知られていない誕生秘話があります。実はこの曲、もともとA面ではなくB面のカップリング曲として生まれた曲でした。
事の経緯はこうです。布施明の担当マネジャーだった小坂洋二が、小椋佳の「淋しい時」というアップテンポの楽曲を持ってきた際、布施が「もう一曲、カップリングが欲しい」と依頼したことから話が始まります。小椋からあがってきたのが「シクラメンのかほり」でした。当時B面の予定でカップリング用に書かれた曲です。
布施明本人は「こんな古めかしいフォークソング調の曲が売れるわけない」と感じていたといいます。結果的に渡辺プロダクションの渡辺晋らが「シクラメンの方がいい」と判断したため、A面として世に出ることになりました。これは使えそうです。
一方、作者の小椋佳も当初この曲を気に入っておらず、「歌詞の内容が月並みな展開だった」として自分ではレコーディングせずお蔵入りにしていたといいます。実際に小椋佳が「シクラメンのかほり」をセルフカバーしたのは、布施明版がヒットした後のことでした。しかもその際、Aメロ後半の「驚いたように振り向く君に」のメロディーが布施明版と異なっており、小椋版の方が実は原曲に近いとされています。
つまり「誰もヒットすると思っていなかった曲が、昭和最大の名曲のひとつになった」ということです。売れると確信して世に出たわけではない、というのが大きな驚きです。
シクラメンのかほりの誕生裏話は下記のスポーツ報知の記事に詳しく紹介されています。
シクラメンの歌の歌詞に隠された「3つの嘘」とは
「シクラメンのかほり」の歌詞には、実は複数の”意図的な嘘”が仕込まれています。この点を知ると、この曲をさらに深く味わうことができます。
まず大きな「嘘」のひとつ目は、シクラメンに香りがほとんどないという事実です。一般的なシクラメンの花には、ほとんど匂いがありません。まれに極めてかすかな香りをもつ品種が存在する程度で、「かほり(香り)」と呼べるほどの香気は実際には備わっていません。意外ですね。
ふたつ目の嘘は「うす紫色のシクラメン」に関するものです。歌詞の3番に「薄紫のシクラメン」という表現が登場しますが、1975年当時、薄紫色のシクラメンは品種として存在していませんでした。ただし興味深いことに、この曲のヒットを受けて、その後に薄紫色をもつシクラメンや香りのあるシクラメンが品種改良によって開発されるきっかけになったとも言われています。
みっつ目は「かほり」という言葉の意味を巡るものです。曲名の「かほり」は表向きには「香り」を意味しますが、実は小椋佳の妻の名前「佳穂里(かほり)」から取ったのではないかという説が長年語り継がれています。しかし小椋佳本人は「全く関係ない」「俗説です」と否定しています。歌詞は北原白秋の全集から気に入った言葉を引用し、エルヴィス・プレスリーの楽曲「マリー・イン・ザ・モーニング」の歌詞表現を参考にするなど、いわば「借り物」を中心に構成されたことを示す意味で、あえて旧仮名遣いの「かほり」を使ったと小椋は語っています。
これらを知った上で改めて歌詞を読むと、実在しない花の香り・存在しなかった花の色・本当かどうかわからない名前の捧げ物……という重層的な構造が見えてきます。「架空の美しさ」で人の心を揺さぶる詩の力こそが、この曲を時代を超えた名曲にした要因の一つかもしれません。
シクラメンの歌の歌手・布施明版が持つ圧倒的な詩的技法と保育・音楽活動への活用
「シクラメンのかほり」は詩的な技法がふんだんに盛り込まれており、歌詞としての完成度が非常に高い楽曲でもあります。擬人法・反復法・比喩(直喩)・反語・七七調という5つの詩的技法が一曲の中に組み込まれています。
たとえば擬人法としては「季節が頬を染めて過ぎてゆきました」「愛がいつの間にか歩き始めました」などの表現があります。季節や愛という抽象的な概念に人間の動作を与えることで、情景が鮮明に浮かび上がります。反復法については、1番・2番・3番が「〇〇のシクラメンほど 〇〇しいものはない 〇〇〇〇〇の君のようです」という構造で繰り返されており、聴き手のリズム感を心地よく刺激します。これが基本です。
また、歌詞全体に七七調(7音の句)が多く用いられており、日本人が古来から和歌・短歌を通じて馴染んできたリズム感と共鳴する構造になっています。「耳に残る」「なんとなく落ち着く」と感じる理由のひとつが、ここにあります。
保育士として子どもたちと音楽活動をする場面では、この曲を直接子どもたちに歌わせるというよりは、保護者世代・祖父母世代との交流行事や、高齢者施設との合同イベントなどで活用できます。昭和の名曲を使った音楽レクリエーションは、認知症予防や脳の活性化に効果があるとされており、介護施設や地域交流の場で活発に取り入れられています。歌うことで口腔機能の維持にもつながります。
高齢者向け音楽レクリエーションの効果については、以下のページが参考になります。
高齢者向けの音楽・歌のレクリエーションで認知症予防と健康改善 – 介護アンテナ
「シクラメンのかほり」のような昭和の名曲は、音楽療法的な観点からも、懐かしい記憶を呼び起こす「回想法」の素材として非常に有効です。特に1975年前後に青春期を過ごした世代(現在75歳前後)には強い感情的反応を引き起こすことがあります。保育士が地域連携や世代間交流の場で昭和歌謡を取り上げる際には、「シクラメンのかほり」はまず候補に入れて損はない一曲といえます。
また、曲の歌詞構造(擬人法・反復)は、子どもへの言葉教育や詩的表現の導入にも応用できるという独自の視点も見逃せません。たとえば「季節が頬を染めて…」という表現を使って、「季節が人間だったらどんな動作をする?」と問いかける活動は、子どもたちの想像力と言語表現力を同時に刺激する保育的アプローチになりえます。こういった活動設計のヒントとしても、この名曲は十分に活かせます。

小椋佳 ベスト さらば青春 しおさいの詩 めまい 揺れるまなざし 逢うたびに君は 残された憧憬 歓送の歌 花化粧 時 心の襞 俺たちの旅 泣かせて 夢芝居 遙かな轍 愛しき日々 シクラメンのかほり 山河 古城の月 函館山から ただお前がいい 心の酒 白い一日 愛燦燦 CD2枚組 2CD-462

