満月の歌・藤原道長の意味と保育への活かし方

満月の歌・藤原道長の本当の意味と保育への活かし方

「望月の歌」は傲慢さの象徴ではなく、子への深い愛情の歌だったという説があります。

この記事のポイント
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詠まれた夜は「満月」ではなかった

藤原道長が「望月の歌」を詠んだ1018年10月16日は、実は十六夜(いざよい)の月で、正確な満月ではありませんでした。

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歌の意味には複数の解釈がある

「傲慢な権力誇示の歌」という解釈のほかに、「子どもの幸せを喜ぶ親の歌」「今夜は本当にいい夜だなあという感慨」など、近年は多様な新解釈が広まっています。

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保育現場でも月・和歌の文化を伝えられる

お月見活動や季節の歌を通じて、子どもたちに日本の伝統文化を自然なかたちで届けるヒントが「望月の歌」には詰まっています。


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満月の歌・藤原道長とは?詠まれた背景と基本情報

 

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」——この一首は、平安時代中期の貴族・藤原道長(966〜1028年)が詠んだ和歌で、「望月の歌」と呼ばれています。道長はこの歌を詠んだとき、53歳でした。

歌が詠まれたのは寛仁2年(1018年)10月16日、道長の自邸「土御門殿」で開かれた祝宴の席です。この日は道長の三女・藤原威子が後一条天皇の中宮(最も地位の高い后)として立后された慶事でした。道長はすでに長女・彰子(しょうし)、次女・妍子(けんし)、そして三女・威子を次々と天皇・皇太子の后として入内させており、三后すべてを娘が占めるという「一家三后(いっかさんごう)」という前代未聞の快挙を成し遂げた直後の宴だったのです。

つまり結論は、藤原道長の絶頂期に詠まれた一首ということです。

祝宴で宴もたけなわになったころ、道長は実資(さねすけ)という高官に向かって「歌を詠むから、必ず返歌をしてほしい」と依頼しました。道長自身も「これは少し自慢めいた歌になるかもしれない。ただし即興で作ったものだ」と断りを入れながら、この歌を声高らかに詠み上げました。すると実資は「この歌は返歌できないほど素晴らしい。皆でともに吟じましょう」と応え、その場にいた公卿たちは繰り返しこの歌を口ずさんだとされています。

この一連の記録は、実資自身の日記『小右記(しょうゆうき)』に書き残されています。実は道長本人の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には、この歌の本文が一切記録されていません。「歌を詠んだこと、皆で吟じた」とだけ書かれており、具体的な歌の内容は書かれていないのです。これがなぜかについては、道長が「調子に乗った歌」として恥じていたという説、盈満思想(満ちると必ず欠けるという考え)を意識していたという説など、複数の解釈があります。

参考:望月の歌(Wikipedia)に詳細な歴史的考証が掲載されています。

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば(Wikipedia)

満月の歌・藤原道長が詠んだ夜は実は「満月」ではなかった

保育士の多くは「望月=満月」として覚えているかもしれません。それは正しいのですが、実際に道長が歌を詠んだ夜は、旧暦10月16日、つまり「十六夜(いざよい)の月」の夜でした。意外ですね。

旧暦では毎月15日が「望月(もちづき)」、すなわち満月とされていました。ところが記録によれば歌が詠まれたのは翌16日。つまりその夜の月はすでにわずかに欠けはじめた十六夜の月だったのです。これは何を意味するのでしょうか?

この事実から研究者・河内祥輔氏は、「この歌はまさに欠けはじめた月を見ながら詠まれた歌であり、栄華の頂点を極めながらもはかなさを知っていた道長の心情が込められている」という解釈を示しています。さらに国文学者・山本淳子(京都先端科学大学教授)は「この世」は「この夜」の掛詞(かけことば)であり、「今夜は本当にいい夜だなあ」という感慨程度の意味であるとも述べています。山本氏はさらに、「望月」の部分は「三后を娘が占めた」ことへの表現であり、決して天下統治の傲慢さを誇った言葉ではないとも指摘しています。

満月でないのに満月の歌を詠んだ。これが原則です。

この話は保育者にとっても非常に大切な視点を示してくれます。子どもたちに「お月様はいつも丸いわけじゃないよ」「でも満月になろうとしている途中の月も美しいよ」と伝えるとき、1000年前の貴族が欠けた月を見ながら詠んだ歌のエピソードは、とても豊かな語り口になり得ます。

参考:望月の歌を詠んだ夜は満月ではなかったという史実を詳しく解説しています。

【光る君へ】日曜日にいよいよ登場、道長の「望月の歌」(アートエキシビション)

満月の歌・藤原道長の傲慢ではない「新解釈」3つ

「この世をば 我が世とぞ思ふ——」という歌は、明治時代の教科書以降、「藤原氏の奢り(おごり)」の象徴として長く語られてきました。しかし近年の研究では、この歌を別の角度から解釈するアプローチが複数登場しています。これは使えそうです。

新解釈①:娘の幸せを喜ぶ「父親の歌」

産経新聞(2018年11月)で歴史学者が指摘した解釈では、「月(望月)」は娘・威子の暗喩であるとされています。三人の娘全員が后という最高位を得た夜、「我が望月は欠けがない(娘に不足がない)」という意味で読み直すと、この歌は権力者の傲慢な言葉ではなく、父親として子どもたちの幸せを喜ぶ歌に見えてきます。

新解釈②:「今夜はいい夜だなあ」という素直な感慨

山本淳子教授は「この世をば 我が世とぞ思ふ」を「今夜の世を、私は心ゆくものと思う」すなわち「今夜は本当にいい夜だ」と解釈しています。これは権力の誇示ではなく、宴の席で酔った道長が素直に「最高の夜だ」とつぶやいた即興の感情表現だという見方です。

新解釈③:栄華のはかなさを知っていた「謙虚な歌」

旧暦10月16日という日付に注目した解釈では、この日の月はすでに欠け始めた十六夜の月であったことを踏まえ、「満月はもう昨日で終わった。今は欠け始めている。それでも欠けていないと思いたい」という逆説的な謙虚さが込められているとも読めます。道長が御堂関白記にこの歌を書き残さなかったことも、「誇った言葉を公の記録に残すことへの躊躇」だったのかもしれません。

これら3つの解釈はそれぞれ異なりますが、いずれも「傲慢な権力者の言葉」という単一の読み方を覆しています。保育士として子どもたちに歴史を伝えるとき、「ひとつの見方だけが正解ではない」という姿勢を示すうえで、この歌のエピソードは格好の教材になります。

参考:望月の歌の複数の解釈について、当時の政治状況を踏まえて解説されています。

この世をば…藤原道長の「望月の歌」新解釈から見える政権の試練(読売新聞)

満月の歌・藤原道長と摂関政治——保育士が知っておくべき平安時代の基礎

歴史を子どもたちに伝えるためには、まず保育士自身がその背景を理解しておくことが大切です。基本が条件です。

藤原道長(ふじわらのみちなが)は、平安時代中期(966〜1028年)を生きた貴族です。父は関白・藤原兼家(かねいえ)。道長は五男として生まれたため、もともと権力の中心に立つ人物ではありませんでした。しかし兄たちが相次いで若くして病死したことで、道長が政治の中心に立つことになりました。

道長が権力を確立した手法のポイントは「娘を天皇に嫁がせ、生まれた子を次の天皇に立てる」というものです。これを「摂関政治(せっかんせいじ)」といい、天皇が幼い場合は「摂政」、成人後は「関白」として天皇の外祖父・義父として実質的な政治を行いました。面白いのは、道長自身は「摂政」を務めた期間はわずか約1年間であり、「関白」には一度もなっていないという点です。それでも20年以上にわたって政治の実権を握り続けました。

道長の時代に栄えた文化はとくに豊かで、『源氏物語』の作者・紫式部や『枕草子』の清少納言が活躍したのもこの頃です。道長は紫式部を娘・彰子の女房(教育係・文化担当)として迎え入れており、『源氏物語』は道長の後援のもとに書かれた部分も多いとされています。つまり道長がいなければ、『源氏物語』は生まれていなかったかもしれません。

保育現場では年長クラスになると「昔の日本の暮らし」「昔話・昔の文化」にふれる機会があります。そのとき「平安時代の貴族はどんな生活をしていたか」「どんな言葉や歌を使っていたか」を伝える入り口として、「望月の歌」のエピソードは非常に適しています。

「むかしの人たちも、きれいな月を見て感動していたんだよ」——この一言から始まる会話が、子どもたちに日本語の豊かさや季節の美しさを伝えるきっかけになります。

満月の歌・藤原道長から広がる保育活動:月とうたで感性を育てる実践アイデア

保育士の現場では、お月見(十五夜)の時期を中心に「月」をテーマにした活動が活発に行われています。この文脈に「望月の歌」を組み込むことで、活動の深みが増します。

🌕 年齢別・月のうた活動例

年齢 おすすめ活動 ポイント
0〜2歳 「つき」(童謡)を聴く・歌う リズムと音の心地よさを体感する
3〜4歳 丸い月の製作・お月見壁面飾り 「まんまる」の形を全身で感じる
5〜6歳 「なぜ月は丸くなったり欠けたりするの?」の問答 探究心・科学への興味を育てる

🎶 保育で使いやすい「月の歌」リスト

これらはどれも旧来から歌い継がれてきた名曲です。「古い歌を歌うことは、1000年以上前の日本の感性につながること」という視点を保育士が持っておくと、歌を教えるときの解説の厚みが変わります。

🌙 「望月の歌」を使った5歳児向けお話の例

「むかしむかし、お月様のことがとても好きな人がいました。その人はある夜、大好きな子どもたちみんなが幸せになったことがうれしくて、『今夜の月はほんとうに丸いな、欠けているところがないな』って歌ったんだ。みんなも、自分がうれしいと思ったとき、言葉にしてみよう」——このような語りかけは、国語力・表現力の芽生えにもつながります。

お月見の季節(9月〜10月)に「望月の歌」のエピソードを組み合わせた保育計画を立ててみると、行事が単なる「お団子を食べるイベント」にとどまらず、歴史・言語・感性・科学が交差する豊かな学びの場になります。

参考:保育現場でのお月見活動のアイデアが丁寧にまとめられています。

満月の歌・藤原道長を保育に活かすための豆知識まとめ

ここまでの内容を踏まえて、「望月の歌」と保育をつなぐうえで押さえておきたい豆知識を整理します。

📌 「望月」は満月の別名

「望月(もちづき)」は旧暦の15日の月を指す言葉で、「月が満ちた状態」を意味します。現代では「満月」という言葉が一般的ですが、平安時代にはこの「望月」という言葉が和歌の中で使われていました。保育の現場でも「むかしの人は満月のことを『望月』っていってたんだよ」と一言添えるだけで、言葉への興味が広がります。

📌 道長の日記は世界遺産

藤原道長が書いた日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」は、2013年にユネスコの「世界の記憶(Memory of the World)」に登録されており、平仮名と漢字が混在する最古級の日記として高い価値を持っています。現存する道長自筆の部分は全14巻(1013〜1021年)で、当時の政治・文化を知る第一級の史料です。

📌 「御堂関白記」には望月の歌が書かれていない

先述のとおり、道長自身の日記にはこの歌が書き残されていません。後世にこの歌が知られているのは、ライバルとも言うべき藤原実資の日記「小右記(しょうゆうき)」のおかげです。つまり、道長が「恥ずかしかったから消そうとした歌」が、他人の日記によって1000年後の私たちに伝わっているのです。これは興味深いですね。

📌 歌が詠まれた1018年は今からちょうど約1000年前

2018年(平成30年)の11月16日には、道長が見上げたとほぼ同じ月が夜空に出るとして、平塚市博物館が「#道長と同じ月を見上げよう」というキャンペーンを行い、SNSで大きな話題を呼びました。「1000年たっても同じ月が見られる」という事実は、子どもたちの宇宙・時間への想像力を強く刺激します。

📌 NHK大河ドラマ『光る君へ』(2024年放送)でも話題に

2024年放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、第44回(11月17日放送)で「望月の歌」が登場し、SNSで大きな反響を呼びました。道長を演じた俳優の解釈とドラマの演出が、「傲慢ではなくまひろ(紫式部)への思いを込めた歌だった」という読み方をさらに広め、歴史への関心が高まる契機になりました。保育士の方も、このドラマをきっかけに平安文化に興味を持った方は少なくないはずです。

参考:藤原道長の生涯と性格が詳しくまとめられており、保育の語り口のヒントになります。

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