安里屋ユンタ歌詞の意味と沖縄民謡の背景
「サーユイユイ」という囃子が耳に馴染みのある安里屋ユンタの元歌は、実は恋愛ソングではなく権力者への抵抗を歌った23番まである労働歌です。
安里屋ユンタの歌詞「サーユイユイ」とは何の意味か
「サーユイユイ」という言葉は、安里屋ユンタを口ずさんだことがある人なら必ず耳にしたことがあるフレーズです。しかし、この言葉の意味を正確に説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか。
結論は明快です。「サーユイユイ」は、特定の意味を持たない囃子言葉(はやしことば)です。本土の民謡における「ヨイヨイ」や「ドッコイショ」と同じ役割で、歌のリズムや調子を整えるために挿入される声出しにあたります。東京音頭の「ヨイヨイ♪」を思い浮かべると、イメージしやすいでしょう。
「ヤレホンニ」も同様に意味のない囃子言葉です。意味がないからこそ覚えやすく、子どもたちが自然とリズムに乗れる理由の一つになっています。
ユンタというジャンルは、八重山諸島で農作業や共同作業の際に歌われた労働歌の一形式です。「ユンタ」という言葉の語源は「結い歌(ゆいうた)」または「詠み歌」が転訛したものとされています。楽器は一切使わず、男女が交互に掛け合いで歌うスタイルが特徴的で、力を入れるタイミングを合わせるために力強い囃しが入りました。掛け合いが重なる部分では二部合唱のように聞こえます。
つまり「サーユイユイ」が基本です。保育の現場でこの歌を子どもたちと一緒に歌うとき、「ここは大きな声で一緒に言おう!」と呼びかけると、子どもたちが参加しやすくなります。意味がない分、発音の練習や声の出し方の指導にも活用できる要素です。
安里屋ユンタの元歌の歌詞とクヤマの実話
安里屋ユンタの元歌の歌詞は、1722年に竹富島で実際に生まれた実在の人物・安里屋クヤマ(1722年〜1799年)を主人公にしています。クヤマはその絶世の美貌から、首里(しゅり)王府から八重山に派遣されてきた役人・目差主(みざししゅ)に見染められ、賄い女(現地妻)になるよう求婚されました。
元歌の歌詞3番までの意味を現代語に意訳すると、次のようになります。
| 番 | 八重山方言(原文) | 現代語訳 |
|---|---|---|
| 1番 | 安里屋ぬ クヤマによ あん美らさ うん生りばしよ | 安里屋のクヤマは、なんと美しく生まれたことよ |
| 2番 | 目差主ぬ 請ゆだらよ あたろ親ぬ 望むたよ | 目差主(役人)に見染められ、村長にも気に入られた |
| 3番 | 目差主や 我なんばよ あたろ親や くりゃおいすよ | 役人はいやだ。村長のところへ奉公したい |
注目すべきは歴史的背景です。1637年から琉球王国が八重山諸島に苛酷な人頭税の取り立てを行っており、庶民が役人に逆らうことは普通では考えられない時代でした。そのような時代において、役人の求婚をあっさり撥ね付けたクヤマの気丈さは、農民たちの反骨精神の象徴として語り継がれていきました。
クヤマは実際には16歳で与人(ゆんちゅ:村長)の賄い女となり、村きっての一等地に三反二畝(さんたんにせ:約300坪)の土地を与えられたとされています。与人が島を去った後は生涯独身を通し、島の貧しい家の子どもたちの面倒を見た聖女として今も伝えられています。これは意外ですね。
竹富島では現在も毎年旧暦の元旦の週の日曜日に「クヤマ大祭」が行われており、安里家一門が集まってクヤマの遺徳を偲んでいます。生誕の地と墓は現在も観光スポットになっており、水牛車が必ずその前を通ります。
参考:安里屋ユンタの歴史的背景と全歌詞のあらすじについて詳しく解説したページ
安里屋ユンタ|詳しい歴史と歌詞の意味(washimo-web.jp)
新安里屋ユンタの歌詞が元歌と全く違う理由
保育士として「安里屋ユンタ」を子どもたちに教えようとするとき、現在一般的に歌われている歌詞と元歌の関係を知っておくことが重要です。
現在最もよく知られている「君は野中のいばらの花か〜サーユイユイ♪」という歌詞は、実は1934年(昭和9年)に作られた「新安里屋ユンタ」です。大阪のコロムビアレコードが「難解な沖縄方言ではなく、標準語で日本全国に沖縄民謡を広めたい」という趣旨で星克(ほしかつ)に作詞を依頼し、宮良長包(みやら ちょうほう)が作曲してレコード化したものです。
新安里屋ユンタの各歌詞の意味は次のとおりです。
- 🌹 1番「君は野中のいばらの花か」…日が暮れても帰ろうとする男性を引き止めてくれる女性の美しさと、いばらの花のように近づきがたい魅力を歌っています。
- 💐 2番「嬉し恥ずかし浮名を立てて」…「浮名(うきな)」とは恋愛のうわさのこと。思い通りにならない恋心を「主(ぬし)は白百合、ままならぬ」と表現しています。
- 🌙 3番「田草取るなら十六夜月夜」…「十六夜(いざよい)」は陰暦16日の月のこと。満月(15日)の翌日で行事が一段落して人出が少ないため、二人だけで過ごすのに都合がよい夜です。
- 👘 4番「染めてあげましょ紺地の小袖」…「紺地(こんじ)に染める」は琉球時代に結婚を暗示する表現でした。「情けのたすき」はプロポーズへの答えを求める掛け言葉になっています。
元歌に登場するクヤマも役人も登場しません。歌詞は全部標準語で書かれており、内容も男女の甘い恋物語に一新されています。歌詞の拍数が七・七・五調で構成されているため、日本全国の民謡の歌詞と差し替えが可能な構造になっており、替え歌が数多く生まれた理由でもあります。
元歌と新安里屋ユンタは「別の歌」と理解しておくと良いでしょう。保育の場で活用するのは、歌詞が日本語で内容も平易な「新安里屋ユンタ」が適しています。
安里屋ユンタの囃子「マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ」の意味
安里屋ユンタの中で、もう一つ気になる表現が「マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ」という囃子言葉です。こちらは「サーユイユイ」とは異なり、ちゃんとした意味を持つ言葉として知られています。
八重山方言の古語として一般に解釈されているのは「また逢いましょう、愛しい人よ」という意味です。それぞれを分解すると、「チンダラ(ツンダラ・ツィンダラとも表記)」は「かわいい・切ない」、「カヌシャマ」は「愛しいお方」という意味になります。
実はこの囃子には「インドネシア語説」という興味深い話があります。「matahari」はインドネシア語で「太陽」を意味するため、「マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ」を「太陽はすべての国民を愛する」と解釈する説です。しかし発祥地の竹富島では「ハーリヌ チンダラチンダラヨ」と歌われており、「matahari」を一語として捉えるのは区切り方を誤った俗説であるとされています。
これは使えそうです。保育の場でこの囃子を子どもたちに教えるとき、「遠くにいる大好きな人に向けて歌う言葉だよ」と伝えると、子どもたちがイメージしやすくなります。
竹富島の「安里屋ユンタ」は国の重要無形民俗文化財に指定された「竹富島の種子取祭(たねとりまつり)」の舞踊曲の一つでもあります。この囃子が何百年も歌い継がれてきた背景には、島人たちが労働の合間に声を合わせ、連帯感や郷土への愛着を育んできた文化的な積み重ねがあります。
参考:安里屋ユンタの歌詞と囃子の意味・歴史を詳しく解説したページ
安里屋ユンタ 歌詞の意味(worldfolksong.com)
保育士が安里屋ユンタを子どもに伝えるときの独自視点:「掛け合い」と社会性の育ちに使う
安里屋ユンタは沖縄の有名な民謡として知られていますが、保育士の視点から捉えると、この曲には子どもの発達支援に活用できる特有の要素が含まれています。
元来のユンタは「男女が交互に歌う掛け合い」でした。これはそのまま、保育現場の「コールアンドレスポンス(呼びかけと応答)」の形式に置き換えられます。具体的な活用方法があります。保育士が「サー 君は野中のいばらの花か」と歌い、子どもたちが「サーユイユイ!」と返す形にするだけで、「人の話を聞く→応答する」という社会性の基礎練習が自然に成立します。
「サーユイユイ」が原則です。掛け声部分だけを子どもたちの担当にすれば、歌詞を全部覚えられない年齢の子どもでも参加できます。3〜4歳児クラスでも十分に取り入れられる構成です。
また、この曲の七・七・五調のリズムは、日本語の音節感覚(モーラ)を自然に体得させる効果があります。拍を意識して身体を動かしながら歌うことで、言語発達や音楽的な感受性にも良い影響を与えます。リトミックや音楽遊びの一環として取り入れる価値があります。
沖縄の幼稚園では、宮良長包作曲の「安里屋ユンタ」を使った踊りの指導が「敬老の日」などの行事に合わせて実施されてきた実績があります。発表会や季節の行事に向けて子どもたちに踊りを教える場合も、歌詞の背景を知ったうえで指導することが、より深い文化的学びにつながります。
子どもたちに沖縄の文化を伝えるためのきっかけとして、「昔、竹富島という島に、すごく美人なクヤマという女の人がいてね」という形で物語として語り聞かせることもできます。絵本のような語り口で導入すれば、子どもたちの興味を自然に引き出せます。
参考:沖縄民謡の種類と文化的背景について
沖縄の民謡・童謡・わらべうた(ragnet.co.jp)

CD 決定盤 沖縄民謡 安里屋ユンタ 乙女椿 多幸山 知名定男 谷茶前伊計離節 とうばらーま 大浜安伴 大浜みね 西武門節 小浜節

