巽聖歌 新美南吉 関係と保育で活かせる童話童謡の魅力

巽聖歌 新美南吉

巽聖歌は新美南吉に絶交を申し渡していた

この記事で分かる3つのポイント
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童謡詩人と童話作家の出会い

巽聖歌と新美南吉が「チチノキ」を通じて兄弟のような関係を築いた経緯と、二人が同居した中野区上高田での5ヶ月間

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南吉作品を世に出した恩人

29歳で亡くなった南吉の遺志を受け、生涯をかけて童話集を刊行し「ごんぎつね」を教科書に掲載させた巽聖歌の功績

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保育で活かせる作品の背景

「たきび」や「ごんぎつね」など保育現場で親しまれる作品に込められた、ふるさとへの想いと子どもへの願い

巽聖歌と新美南吉の出会いと兄弟のような絆

 

巽聖歌(たつみせいか)と新美南吉は、1931年に雑誌「チチノキ」を通じて出会いました。8歳年上の聖歌は、投稿してきた南吉の才能をすぐに見抜き、二人は兄弟のように親しくなります。

参考)「巽聖歌」というひと ー新美南吉のために|あまのさくや

南吉が東京外国語学校の受験のため上京した際、聖歌は自分の下宿を訪ねてきた南吉を温かく迎えました。無事入学を果たした南吉のために、聖歌は中野区上高田に新居を借り、結婚するまでの5ヶ月間、二人は一緒に暮らしています。手紙では南吉が聖歌を「兄さん」と呼び、深い信頼関係が伺えます。library.city.tokyo-nakano+2

つまり兄弟子以上の絆です。

この時期、南吉は聖歌の助言を受けながら創作活動を続けました。北原白秋門下の先輩詩人として、聖歌は南吉に文学的な指導も行っていたのです。city.handa+1

新美南吉が巽聖歌に託した最期の願い

南吉は身体が弱く、喉頭結核を患っていました。病気が悪化すると、聖歌夫妻は自宅に南吉を引き取って献身的に看病しています。

病状が再び悪化した1943年、南吉は聖歌に未発表作品をすべて送り、「長くは生きられないので、亡くなった後のことはおまかせしたい」と手紙で依頼しました。そして同年3月22日、南吉は29歳7ヶ月の若さで永眠します。nankichi+1

最期の手紙には「日本中の子どもたちに自分の童話を読んでもらいたい」という願いが書かれていました。この遺言を受け取った聖歌は、その後の人生を南吉作品の顕彰に捧げることになります。

託された原稿だけでなく、教え子や知人に渡っていた書簡や原稿を一人一人訪ねて返却してもらい、散逸を防ぎました。

つまり遺作の保護です。

参考)特別展「童謡詩人 巽聖歌~児童文学に生きた、ひとすじの道~」…

巽聖歌による新美南吉作品の出版活動

聖歌は約束を果たすため、生涯をかけて南吉の童話集を刊行し続けました。1960年には『新美南吉童話集』全3巻を大日本図書から、1965年には『新美南吉全集』全8巻を牧書店から出版しています。city.hino+1

特に重要だったのが、「ごんぎつね」の教科書掲載推薦でした。1956年、大日本図書の教科書に最初に採用され、以後東京書籍、光村図書と順に掲載されました。1977年には全教科書会社が採用し、現在も小学4年生の全教科書に掲載されています。koutoku+1

これは使えそうです。

聖歌が教科書掲載を推薦した理由は「本を買ってもらえない子どもにも南吉の作品を読んでもらうことができる」という想いからでした。南吉の最期の願いは、聖歌の手によって見事に果たされたのです。

巽聖歌の代表作「たきび」と保育現場での活用

巽聖歌の代表作「たきび」は、南吉と暮らした中野区上高田が舞台です。近所の大きな農家のそばを通る際、屋敷の中の焚き火の様子を見ていた光景が作品になりました。

🎵 歌詩に登場する「かきね」は、聖歌の故郷・岩手県紫波町でよく見られる「家垣根(いぐね)」と呼ばれる屋敷林のことです。「北風ぴいぷう」というユニークな響きも、北国の身を切るような冷たい風を表現しています。

保育現場では季節の歌として冬に歌われることが多い「たきび」ですが、作者のふるさとへの想いを知ると、子どもたちへの伝え方も深まります。歌詞の意味を理解した上で、地域の風景や季節の変化を感じる活動につなげられるでしょう。

ふるさとへの愛が基本です。

また、聖歌は母校の日詰小学校をはじめ、紫波町内や日野市内で多くの校歌の作詩を手がけています。地域に根ざした創作活動は、保育士が地域の文化を子どもに伝える際の参考になります。

巽聖歌と新美南吉に学ぶ保育での文学活用法

保育現場で「ごんぎつね」や新美南吉作品を読み聞かせる際、作品の背景を知っておくことは重要です。南吉は4歳で母を亡くし、8歳で養子に出されるという寂しい生い立ちでした。

参考)新美南吉の生涯(もっと詳しく)

この孤独な経験が、ごんと兵十のすれ違いや、心の通い合いを描く作品に結実しています。小学4年生向けの教材として採用されているのは、自我が芽生え友だち関係に悩む時期の子どもに適しているからです。

参考)https://koutoku.ac.jp/toyooka/pdf/department/kiyou/28/28-9.pdf

📚 保育では以下のような活用ができます。

  • 季節に合わせた読み聞かせ(秋にごんぎつね、冬にたきび)
  • 作品に登場する動物や自然を観察する活動との組み合わせ
  • 登場人物の気持ちを考える対話型読み聞かせ
  • 作者の人生や想いを年齢に応じて伝える

南吉の作品は「赤い鳥」に投稿されたものが多く、童謡も23編掲載されています。童謡「窓」など短い作品は、乳幼児クラスでも取り入れやすいでしょう。

参考)新美南吉童話紀行「声の力、地名の力」【4】

厳しいところですね。

新美南吉記念館(愛知県半田市)には、南吉の生涯や作品に関する展示があります。保育士の研修や自己研鑽として訪問すると、作品理解が深まります。また、巽聖歌が晩年を過ごした東京都日野市では、毎年12月にたきび祭が開催され、JR豊田駅の発車メロディにも採用されています。nankichi+1

新美南吉記念館の公式サイトでは、南吉の生涯と作品の詳細が紹介されており、保育での読み聞かせ準備に役立つ情報が得られます。
日野市の巽聖歌関連ページには、聖歌の功績や「たきび」誕生の背景が詳しく説明されており、保育で歌う際の参考になります。

巽聖歌と新美南吉の絶交と和解の物語

実は、二人の関係には「絶交」という形で終わった時期がありました。南吉の日記には聖歌がたびたび登場し親しい交友関係が覗えますが、何らかの理由で一時的に関係が途絶えたのです。

参考)https://library.city.tokyo-nakano.lg.jp/lib/files/yukari10.pdf

中野区立図書館の資料によれば「絶交という形のまま、南吉の死により関係は終わってしまった」と記されています。しかし南吉が最期に原稿を託したのは聖歌であり、その信頼は変わっていませんでした。library.city.tokyo-nakano+1

意外ですね。

聖歌も南吉の死後、生涯をかけて作品を世に出し続けることで、その想いに応えました。表面的な関係のもつれを超えた、深い信頼と敬意があったことが分かります。city.hino+1

保育の現場でも、子ども同士の関係や保護者との関係で「誤解」や「すれ違い」が生じることがあります。しかし本質的な信頼関係があれば、困難な時期を乗り越えられることを、二人の関係は教えてくれます。

また、南吉の友人・渡辺茂は「南吉は聖歌によって作られたと言えよう」と振り返っています。東京外語で弘・南吉という友人をそれぞれ得たことは、二人にとって幸福であったと述懐しています。

文学を志す者同士の出会いが、どれほど大きな影響を与えるか。これは保育士同士の学び合いや、子どもの成長における良き出会いの重要性にも通じます。

結論は信頼です。

紫波町と日野市をつなぐ巽聖歌の遺産

巽聖歌は1905年、岩手県紫波町で鍛冶屋野村吉兵衛の7人兄弟姉妹の末っ子として生まれました。後半生の25年間は東京都日野市旭ヶ丘で過ごし、自宅の庭で野菜を育て、山羊や羊を飼う生活をしていました。shiwa-kanko+1

🌏 聖歌の生誕地である紫波町と、晩年を過ごした日野市は、その縁から2016年に姉妹都市となりました。両市町では聖歌の功績を称える活動が続いています。

紫波町には聖歌関連の史跡があり、生家跡や記念碑が保存されています。日野市では「たきび」の歌碑があり、地域の人々に愛されています。shiwa-kanko+1

保育士が地域の文化や歴史を学ぶ際、このような人物の足跡を辿ることは有意義です。自分が働く地域にどんな文化人がいたか、どんな作品が生まれたかを知ることで、子どもたちに伝えられる地域の魅力が増えます。

これは使えそうです。

また、聖歌と南吉に共通するのは「自分のことだけではなく、信じた大事な人への使命感を全うする実直さと、自分の郷土に寄せる愛のまなざし」です。この姿勢は、保育士が子どもや地域と向き合う上でも大切な視点となります。


巽聖歌の詩と生涯: ふるさとは子供の心