椰子の実 歌詞 戦争 兵士の涙と故郷への思い

椰子の実 歌詞 戦争

「椰子の実」は実は戦時歌謡として作られた歌ではありません。

この記事のポイント
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太平洋戦争で空前の大ヒット

南方戦線の兵士たちが故郷を思い涙した歌

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明治時代に生まれた詩

島崎藤村が友人の体験談から創作した作品

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保育現場で歌い継ぐ意味

平和の大切さを伝える教材として活用できる

椰子の実の歌詞が戦争中に歌われた理由

 

「椰子の実」は明治34年(1901年)に発表された詩ですが、昭和11年にNHKラジオで放送されてから広く知られるようになりました。その後、太平洋戦争が始まり、戦地が南方へ広がると、異国の地で戦う兵士たちの間で空前絶後の大ヒットとなったのです。

参考)日本歌曲「椰子の実」歌詞の意味と大ヒットの背景

「海の日の沈むを見れば、激り落つ異郷の涙」「いずれの日にか国に帰らん」という歌詞が、南洋諸島で戦っている兵士たちの心に深く響きました。椰子の木が生い茂る戦地の風景と、故郷を離れてさまよう椰子の実の姿が重なったのでしょう。

心の拠り所になったのですね。

戦時中のラジオ放送やレコードを通じて、この歌は兵士だけでなく銃後の家族にも広がりました。広島で路面電車を運転していた女学生も「椰子の実」を歌っていたという記録が残っています。komoronokaze.hatenablog+1

太平洋戦争末期には、サイパン島で玉砕を経験した兵士たちの間でも歌われました。映画「太平洋の奇跡」の終わりの場面では、この曲が日本へ帰ろうという思いを表現するために使われています。

参考)島崎藤村の「椰子の実」と兵士 – 信州小諸から

椰子の実 歌詞の意味と島崎藤村の創作背景

この詩を書いた島崎藤村は、実は伊良湖岬に行ったことがありませんでした。

意外ですね。

詩の元になったのは、民俗学者の柳田國男が愛知県の伊良湖岬で体験した出来事です。柳田は海岸に流れ着いた椰子の実を三度も見つけ、はるかな波路を越えて渡ってきたことに大きな驚きを感じたそうです。

この話を聞いた島崎藤村は、椰子の実に自分自身を重ね合わせました。当時の藤村は故郷を離れてさまよう辛い境遇にあり、漂流する椰子の実と自分の人生が重なったのでしょう。

つまり漂白の心情が詩になったということです。

歌詞の中で「われもまた渚を枕、孤身の浮寝の旅ぞ」と歌われているのは、藤村自身の心情表現なのです。「実をとりて胸にあつれば、新なり流離の憂」という一節には、さまよい歩く旅の辛さが込められています。nendo.music.coocan+1

藤村は人生を旅になぞらえていました。旅は旅行と異なり、比較的長期で、行く先が決まっておらず、元のところに帰るとは限りません。この人生観が「椰子の実」の詩に深く反映されているのですね。

椰子の実と戦争の記憶を伝える取り組み

戦後、「椰子の実」は戦争の記憶を伝える歌として新たな役割を担うようになりました。

これは大切なことです。

靖国神社の遊就館には、実際に南方戦線から持ち帰られた椰子の実が展示されていました。この展示を見て感銘を受けた愛知県在住の亀山さんが、子どもたちが戦争の悲惨さや家族の尊さを学ぶきっかけとなるようにと絵本「きせきのやしのみ」を出版しました。

絵本は島根県の雲南市と出雲市の全小中学校に配られ、平和教育の教材として活用されています。戦争体験者が減少する中で、歌を通じて戦争の記憶を次世代に伝える試みが続けられているのです。

長野県小諸市では、昭和40年代に市民会館の屋上スピーカーから正午のサインメロディとして「椰子の実」が放送されていました。4キロメートル離れた地域でも聞こえるほどの音量で流されていたそうです。

2007年には「日本の歌百選」に選定され、現在でも広く愛唱されています。歌は作者の意図から離れて、それを歌う人の感情を載せて生きていくのですね。

保育士が知っておきたい椰子の実の歌詞指導のポイント

保育現場で「椰子の実」を扱う際には、歌詞の難しさに配慮が必要です。どういうことでしょうか?

「名も知らぬ遠き島より」「汝はそも波に幾月」といった文語調の表現は、幼児には理解が難しいため、まず現代語に訳して説明することが大切です。「名前も知らない遠い島から流れてきた椰子の実が一つ。おまえはいったい何ヶ月の間波に流されてきたのか」という具体的な言葉で伝えましょう。

歌唱の際には、ブレスの位置に注意が必要です。「名も知らぬ、遠き島より流れよる、椰子の実一つ」というフレーズは、楽譜上のブレス記号が独特で、歌いにくいと感じる人が多いのです。

これは結構難しいところですね。

年齢に応じた教材選びも重要になります。幼児には椰子の実の写真や実物を見せながら「遠い海を旅してきた」というストーリーを伝え、小学生以上には戦争との関わりや平和の大切さまで発展させることができます。

保育現場では、この歌を通じて「離れていても大切な人を思う気持ち」や「いつか会えることを信じる希望」といった普遍的なテーマを子どもたちに伝えることができるでしょう。戦争の悲惨さだけでなく、人間の心の温かさを教える教材としても活用できます。

椰子の実の歌詞から学ぶ保育現場での平和教育

「椰子の実」は保育現場における平和教育の優れた教材になります。なぜでしょうか?

この歌は直接的に戦争を描いているわけではなく、「故郷を思う気持ち」「会いたい人に会えない切なさ」という普遍的な感情を歌っています。そのため、年齢や発達段階に応じて多様な解釈と指導が可能なのです。

幼児期(3~5歳)には、椰子の実が海を旅して遠いところまで来たというストーリーを絵本や紙芝居で伝え、「離れていても思い合う気持ち」の大切さを教えることができます。家族と離れて保育園に来ている子どもたちの気持ちにも共感できる内容です。

小学生以上には、太平洋戦争中に兵士たちがこの歌を歌っていた事実を伝え、「戦争で家族と離れ離れになること」の悲しさを考えるきっかけにできます。ただし、恐怖心を与えないよう配慮が必要です。

具体的な活動としては、世界地図で南洋諸島の位置を確認し、椰子の実が流れてくる距離を実感させることが効果的です。「東京から沖縄までの距離」など、子どもが想像しやすい比較を使いましょう。

また、「日本の歌百選」に選ばれている名曲として、音楽教育の面からも価値があります。美しい旋律と詩の世界を味わう情操教育として位置づけることもできるのですね。

椰子の実の歌詞の詳しい解説と歌唱ポイントが掲載されています(ひまわり日本のうた)

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