青い目の人形歌詞おかしい理由と保育現場で教える意味

青い目の人形歌詞おかしい

実際に贈られた青い目の人形はセルロイドではなくビスク素焼きでした

この記事のポイント
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歌詞のセルロイドは矛盾

歌は1921年発表だが、アメリカから人形が贈られたのは1927年で時系列が逆。贈られた人形は実際にはビスクドール(素焼き)でセルロイド製ではない

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創作のモデルはキューピー

作詞家の野口雨情は当時流行していたセルロイド製キューピー人形を見て歌詞を着想。国境を超えた普遍的な愛をテーマに創作した

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戦争で敵国の人形に

1万2000体以上贈られた人形のうち、太平洋戦争開戦後に「敵国の人形」として文部省が廃棄・焼却を指示。現存は300体程度のみ

青い目の人形の歌詞とアメリカから贈られた人形の時系列

 

「青い眼をした お人形は アメリカ生まれの セルロイド」という歌詞は、1921年(大正10年)12月に雑誌「金の舟」で発表されました。

作詞は野口雨情、作曲は本居長世です。

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一方、アメリカから実際に「青い目の人形」が贈られたのは1927年(昭和2年)のことでした。つまり歌の方が6年も先に存在していたということですね。

参考)http://www.celluloidhouse.com/salon17.htm

実は親日家の牧師シドニー・ギューリック博士がこの童謡を耳にして、日米友好のために人形を贈ることを発案したのです。博士は「子供の頃から友好の心を持っていれば、大人になっても仲良くすることが出来る」と考えていました。celluloidhouse+1

3月3日のひなまつりに合わせて1万2000体以上の人形が全国の小学校・幼稚園に配分されました。

歌が人形を呼んだということです。

青い目の人形の歌詞に出てくるセルロイドの矛盾点

歌詞では「アメリカ生まれのセルロイド」と明記されていますが、実際にアメリカから贈られた人形はビスクドール(素焼き人形)が中心でした。

セルロイド製ではなかったのです。

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これは歌と人形の時系列が逆だったために生じた矛盾と言えます。野口雨情が歌詞を書いた時点では、まだアメリカから人形は贈られていませんでした。celluloidhouse+1

岩波書店『唱歌・童謡ものがたり』によれば、野口雨情は当時の日本で人気があったセルロイド製のキューピー人形を見て歌詞を着想したとされています。キューピー人形は大正時代に子どもたちの遊び相手として流行していたのです。kanaetaiko+1

つまり歌詞の「セルロイド」は実際に贈られた人形の材質ではなく、作詞時に野口雨情が目にしていた流行の人形の材質だったということですね。

青い目の人形の歌詞に込められた創作背景と国際愛

野口雨情は「国境や民族を超えた普遍的な愛を歌った童謡がまだない」と考えてこの歌を作りました。大正デモクラシーの自由な空気の中、子どものための創作童謡がさかんに作られていた時代です。

歌詞では人形が「わたしは言葉がわからない 迷い子になったらなんとしょう」と不安を語り、それに対して「やさしい日本の嬢ちゃんよ 仲よく遊んでやっとくれ」と呼びかけています。これは当時の「童心主義」というトレンドを反映したものでした。uta-net+2

小さな子供が感じるように人形を生きた人間のように捉え、はるばるアメリカからやってきて言葉もわからずに悲しいだろうという人形の気持ちになって歌が作られています。言葉が素朴でシンプルなので子供から大人まで手軽に口ずさめる良い歌ですね。

参考)【知っているようで知らない童謡について調べてみた】童謡「青い…

本居長世が優しい曲を付けたことで、この歌は1923年にはアメリカでも演奏されて好評を博しました。国際親善のメッセージが実際に海を越えて届いたということです。compassion+1

青い目の人形の歌を保育園で教える際の注意点

保育現場でこの歌を教える際には、歌詞の背景にある歴史的事実を保育士自身が理解しておくことが重要です。単に「可愛い歌」として扱うのではなく、平和や友情の大切さを伝える教材として活用できます。

参考)海を渡ってきた青い目の人形 |【公式】杉並幼稚園|東京都杉並…

歌詞に出てくる「迷い子になったらなんとしょう」という不安や「仲よく遊んでやっとくれ」という優しさは、異文化を受け入れる心を育てる良い題材になるでしょう。年齢に応じて、知らない言葉を話す友達が来たらどうするか、という身近な状況に置き換えて話すこともできます。

ただし歌詞の「セルロイド」という言葉は現代の子どもには馴染みがないため、「昔の人形の材料の名前」と簡単に説明する程度で十分です。詳しい歴史背景は小学校以降の発達段階で学ぶ内容と考えましょう。

「友情の大切さ」「平和の尊さ」という普遍的なテーマを、幼児期の子どもたちが理解できる形で伝えることが基本です。人形を通して優しい気持ちを育む、それがこの歌の教育的意義と言えます。

参考:海を渡ってきた青い目の人形 – 杉並幼稚園(平和教育における人形の活用について詳しく解説)

青い目の人形が戦争で辿った悲しい運命

1941年に太平洋戦争が始まると、「友情の架け橋」として贈られた青い目の人形は「敵国の人形」とみなされるようになりました。文部省はアメリカの親善使節人形を贈られた幼稚園や小学校に対し、その廃棄、焼却を求めたのです。thankyoulife+1

昭和18年の毎日新聞には「青い目をした人形憎い敵だ許さんぞ仮面の親善使」という見出しが掲載されました。学校によっては子どもたちに人形を竹槍で突かせて破壊させたところもあったといいます。mbs+1

1万2000体以上贈られた人形のうち、現在残っているのは全国でわずか300体程度です。宮城県には221体届きましたが、現存するのはわずか10体のみです。

戦時中に校長が炭俵の奥底に隠したり、物置でひっそりと保管したりして処分を免れた人形たちもいました。「人形たちに罪はないのに」という思いで守り抜いた人々がいたのです。

参考)戦争を生き抜いた『青い目の人形』の物語 ”友情の証し”が開戦…

青い目の人形を通じた保育現場での平和教育の実践

現存する青い目の人形を活用した平和教育が各地の小学校で行われています。宮城県石巻市の桃生小学校では、赤いワンピースを着た人形「メリー」が大切に保管されており、児童たちに歴史を伝える教材として使われてきました。

元校長の佐藤実さんは児童たちに「戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない」というメッセージを人形とともに伝えています。子どもたちは実際に人形を見て「初めて見たときは怖いなと思ったけど、今になると可愛いお人形さんだなと思うようになりました」と感想を述べていました。

東日本大震災の翌年には、被災した東松島市の矢本西小学校に子どもたちを元気づけようと新たな友情人形「ペギー」が贈られました。12年経った現在も当時と変わらず大切に保管されています。

保育士としては、この歌を歌うだけでなく、人形が持つ歴史的な意味を知っておくことで、より深い平和教育の土台を作ることができるでしょう。「どんな時でも世界中の人たちと手をつなぎ仲良く交流していかなければいけない」というメッセージは今も変わらず重要です。

参考:友情の架け橋『青い目の人形』は戦争勃発で『敵国の人形』となり処分 現存する人形が伝える「戦争ほど残酷なものはない」 – 東北放送ニュース(人形の保存活動と平和教育の取り組みについて映像で紹介)

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